「エルナン・コルテス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Rbr7 (会話 | 投稿記録)
Rbr7 (会話 | 投稿記録)
45行目:
弱腰を[[貴族]]たちに責められたモクテスマ2世が、前言を翻して[[スペイン人]]に立ち去るよう要求したため、コルテスは、わずかな兵をテノチティトランに残し体制を整えるために引き返した。
 
コルテスはベラクルスで[[パンフィロ・デ・ナルバエス]]に率いられたキューバ[[総督]]追討軍に夜襲をかけて破ると、ナルバエスの部下を味方に引き入れ[[インディオ]]を引き連れて再びテノチティトランに戻って来た。しかしこのとき、兵120名とともに留守を任されていた[[ペドロ・デ・アルバラード]]たちが祭典中のアステカ人たちを虐殺し、激怒したアステカ人たちは反乱を起こしていた。1520年6月29日、コルテスは反乱を起こしたアステカ人たちをモクテスマ2世に説得させようとしたが、激怒した市民によってモクテスマ2世は殺され、6月30日には暴動はさらに拡大して、コルテスは命からがらテノチティトランを後にしてトラスカラに引き返した。この事件はスペイン側からは「悲しき夜(ノチェ・トリステ)」と呼ばれ、約1,000名のスペイン人が死亡した<ref> 「ラテンアメリカを知る事典」p172 - 173 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷 </ref>。
 
7月7日オトゥンバ谷で追撃してきたアステカ軍を大破する。7月12日トラスカラに到着しテノチティトラン再征服の為の軍備を整える。
 
アステカ人はモクテスマ2世のあとに新王[[クィトラワク|クイトラワック]]を選んで団結していたが、スペイン軍が持ち込んだ天然痘が蔓延して、在位わずか80日でクイトラワックは死亡し、25歳の勇敢な戦士[[クアウテモック]]を王に推戴した。