「第2SS装甲師団」の版間の差分
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! colspan="2" style="background: lightsteelblue; text-align: center;" | '''第2SS装甲師団'''
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! style="padding-right: 1em;" | 創設
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! style="padding-right: 1em;" | 廃止
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! style="padding-right: 1em;" | 国籍
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! style="padding-right: 1em;" | 規模
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{{!}} [[第二次世界大戦]]<br />([[ナチス・ドイツのフランス侵攻|フランス侵攻]])<br />([[バルバロッサ作戦]])<br />([[モスクワの戦い]])<br />([[クルスクの戦い]])<br />([[ノルマンディー上陸作戦]])▼
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▲
|}
'''第2SS装甲師団 ダス・ライヒ'''(だいにSSそうこうしだん―、''2. SS-Panzer-Division "Das Reich"'')は、[[武装親衛隊]]の38個ある[[師団]]のひとつ。よく訓練されたエリート部隊で、[[第二次世界大戦]]の主要な戦闘で大きな役割を果たした。部隊名のダス・ライヒは祖国あるいは国家を意味する。下記の変遷を経て最終的にSS第2装甲師団 ダス・ライヒに発展した。
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1941年3月26日、枢軸国の一員であるユーゴスラビアに反独クーデターにより親独政権が倒れた。4月6日、ドイツ軍は[[ユーゴスラビア侵攻|ユーゴスラビアへ侵入]]した。SS師団ライヒは、ハンガリーよりユーゴスラビアの首都[[ベオグラード]]へ進軍、注目すべき戦果として、ベオグラードを占領した。
[[1941年]][[4月12日]]の朝、[[親衛隊大尉|SS大尉]][[フリッツ・クリンゲンベルク]]の指揮する[[オートバイ]]兵中隊は、[[パンチェヴォ]]から[[ドナウ川]]の土手沿いに[[ベオグラード]]に接近した。クリンゲンベルクは同市に突入することに不安を感じ、川の増水と渡河する橋がなく、オートバイ兵中隊には架橋装備や浮き橋も欠いていた。クリンゲンベルクは、川の北の土手にモーターボートを見つけ、クリンゲンベルクは部下とともに[[ドナウ川]]を渡った。対岸に付いた後、2人を増援のために戻し、6人でベオグラードのダウンタウンに進んだ。町に入った後、クリンゲンベルクは20人のユーゴスラビア兵と遭遇し、彼らは一発も撃つことなく降伏。その後、クリンゲンベルクは短い戦闘の後、ユーゴスラビア軍の車両を鹵獲、それを利用してユーゴスラビアの軍務省へ向かった。しかし、彼らがビルに到着した時、ビルは放棄されていた。おそらく、軍司令部はドイツ空軍の空襲により首都から撤退したものと考えられる。ベオグラードには降伏交渉する軍の指揮機能が残っていなかったため、クリンゲンベルクはベオグラードのドイツ大使館へ向かった。都市の占領を宣言するため大きな[[ハーケンクロイツ|鉤十字]]を広げ、大使館の上に掲げた。2時間後、ベオグラード市長が大使館を訪れ、クリンゲンベルクに降伏した。ドイツ軍の主力部隊が入城するまで1日を待たないといけなかった。ベオグラード占領の功績で、クリンゲンベルクは[[騎士鉄十字章]]を受けた。
ベオグラード占領後、師団は[[独ソ戦|ソビエト侵攻作戦]]の一端を担うために[[ポーランド]]へ移動した。
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[[1943年]]の初め、ダス・ライヒは[[ハルキウ|ハリコフ]]の正面の崩壊の危機にある戦区の補強に[[東部戦線]]に戻された。ハリコフの再占領後、ダス・ライヒは、他の師団とともに、[[クルスクの戦い]]に参加した。ダス・ライヒは、突出部の南側の攻撃を担い40マイル前進したが、作戦が中止されベルゴロドに後退した。その後、ミウス河、ハリコフ、キエフと転戦した。10月に'''第2SS装甲師団ダス・ライヒ'''と改称。
続く戦闘により連隊規模まで消耗した為、[[戦闘団|カンプフグルッペ]]
3月、ソ連軍の春期攻勢により[[カミャネチ=ポジリシキィ|カメネツ・ポドルスキー]]で[[カメネツ=ポドリスキー包囲戦|包囲]]され第2SS装甲軍団がこれを救出した。救出されたヴァイディンガー戦闘団は既にフランスにいる師団の残りと合流するためにフランスに送られた。
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== ノルマンディの戦い・アルデンヌ攻勢 ==
[[ファイル:MortainDasReich.jpg|thumb|[[1944年]]、[[フランス]]でのSdkfzと隊員の死体]]
1944年6月の[[ノルマンディ上陸作戦|ノルマンディ]]への連合軍侵攻時、ダス・ライヒは、[[第12SS装甲師団|ヒトラーユーゲント師団]]と[[装甲教導師団]]と共に[[カーン]]の北方で連合軍の進撃を食い止める任務を受けた。師団は、
1944年12月の[[バルジの戦い|ラインの守り作戦]]、ダス・ライヒ師団は攻撃の要である[[第6SS装甲軍]]に所属していた。[[ムーズ川]]を越え23マイル進んだ
== 最後の攻勢・降伏 ==
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== 戦争犯罪 ==
ダス・ライヒ師団が関与したと唯一の戦争犯罪の疑いがある事件は、ノルマンディに連合軍が上陸した4日後の1944年[[6月10日]]、フランス中南部・[[リムーザン地域圏|リムーザン地方]]の[[オラドゥール・シュル・グラヌ]]の村での642人のフランス人の民間人の殺害である。この殺害には、第4SS装甲擲弾兵連隊「デア・フューラー」の第1大隊の指揮官である
== 作戦地域 ==
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== 部隊編成と指揮官 ==
*[[騎士鉄十字章]]受章者数:69人(72人?)
=== 部隊名の変遷 ===
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* 1941年10月14日 - 1941年12月31日 [[親衛隊大将|SS大将]] [[ヴィルヘルム・ビトリッヒ]]
* 1941年12月31日 - 1942年4月19日 SS大将 [[マティアス・クラインハイスターカンプ]]
* 1942年4月19日 - 1943年2月10日 SS大将 ゲオルゲ・ケプラー (
* 1943年2月10日 - 1943年3月18日 [[親衛隊少将|SS少将]] ヘベルト・エルンスト・ファール (
* 1943年3月18日 - 1943年3月29日 [[親衛隊上級大佐|SS上級大佐]] クルト・ブラザック (
* 1943年3月29日 - 1943年10月23日 SS大将 [[ヴァルター・クリューガー]]
* 1943年10月23日 - 1944年7月24日 [[親衛隊中将|SS中将]]
* 1944年7月24日 - 1944年7月28日 [[親衛隊大佐|SS大佐]]
* 1944年7月28日 - 1944年10月23日 SS少将 {{仮リンク|オット・バウム
* 1944年10月23日 - 1945年1月20日 SS中将 ハインツ・ラマーディング (Heinz Lammerding)
* 1945年1月20日 - 1945年1月29日 SS大佐 {{仮リンク|カール・クロイツ
* 1945年1月20日 - 1945年3月9日 SS中将 [[ヴェルナー・オステンドルフ]]
* 1945年3月9日 - 1945年4月13日 SS大佐 {{仮リンク|ルドルフ・レーマン (
* 1945年4月13日 - 1945年5月8日 SS大佐 カール・クロイツ (Karl Kreutz)
== 戦闘序列 ==
*1941年 (自動車化)師団「ライヒ」
*1943年 SS装甲師団「ダス・ライヒ」
== 参考文献 ==
* Otto Weidinger ''Division Das Reich I 1934-1939'', 1967, Munin Verlag, ISBN
* Otto Weidinger ''Division Das Reich II 1940-1941'', 1969, Munin Verlag, ISBN 3-921242-07-X
* Otto Weidinger ''Division Das Reich III 1941-1943'', 1973, Munin Verlag, ISBN 3-921242-17-7
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== 外部サイト ==
* Reinbold, Dan "[http://www.dasreich.ca Das Reich Homepage]{{リンク切れ|date=2015年4月}}" Retrieved April 5, 2005.
* Pipes, Jason. "[http://www.feldgrau.com/2ss.html 2.SS-Panzer-Division Das Reich]". Retrieved April 5, 2005.
* Wendel, Marcus (2005). "[http://www.axishistory.com/index.php?id=1981 2. SS-Panzer-Division Das Reich]". Retrieved April 5, 2005.
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