「李成梁」の版間の差分

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李成梁は軍備を拡充しつつ、[[建州女直]]・[[海西女直]]などに分かれていた女真族が、明との交易権を巡って争っていることに付け込み、内部分裂を図ることにより、遼東の安定に多大な功績を上げた。この時期、李成梁の後援を得て勢力拡大に成功したのが後の[[清]]の太祖[[ヌルハチ]]である。
 
長年にわたって遼東を統括し、地方の実力者として私兵を養い割拠した李成梁は、一方で軍費の流用などの汚職や専断が多く、[[万暦]]19年(1591年)に弾劾されて失職、治安情勢の悪化により一旦は復職したものの、万暦36年(1608年)に再度罷免された。
 
息子に[[文禄・慶長の役]]で日本軍と戦った[[李如松]]、[[サルフの戦い]]に参加した[[李如柏]]らがいる。