削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
これ以前の皇后にも、神の娘も入れば細媛のように神とも皇族とも思われない皇后もいます。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
1行目:
'''光明皇后'''(こうみょうこうごう、[[大宝 (日本)|大宝]]元年([[701年]]) - [[天平宝字]]4年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]([[760年]][[7月27日]]))は、[[奈良時代]]の人物。[[聖武天皇]]の[[皇后]]。[[藤原不比等]]と[[県犬養三千代]](橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である[[藤原宮子]]は異母姉(つまり聖武天皇は同年齢ながら甥にあたる)。名は'''安宿媛'''(あすかべひめ)。'''光明子'''(こうみょうし)、'''藤三娘'''(とうさんじょう)ともいう。 なお、「光明皇后」というのは[[諡号]]や[[追号]]の類ではなく通称で、正式な[[尊号]]は'''天平応真仁正皇太后'''という。また初の皇族以外からの皇后であるの先例とされた
 
==生涯==