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[[江戸時代]]に[[江戸]]や[[大阪|大坂]]では精白された白米が普及し、ビタミン不足から[[脚気]]が大流行したのは有名な話だが、白米の食味の良さを喜んだ民衆の偏食とともに、大都市の燃料問題も理由として挙げられる。[[薪]]が周辺の山野で簡単に手に入る農村や山村と異なり、都市では薪も金を出して買わなくてはならない。庶民が燃料費を節約するために、煮えにくい[[玄米]]や丸麦を避け、主食を白米のみに依存した結果、脚気の流行を招いたともいえる。
 
[[日本の[[刑務所]]では、近代の[[懲役刑]]の導入とともに麦飯が導入されており、米:麦=7:3の比率のものが主食とされている。かつては、精麦が不十分だったため炊きあがった麦飯は独特の臭いを持っていたことから、刑務所に収監されることを「臭い飯を食う」と言う表現ができたという説がある(ただしこれは「臭い房内の中で食べるため、飯まで臭く感じる」という意味であって、麦飯そのものは臭くはなかったとする体験談も多く聞かれる)。
 
日本の軍隊では、白米のみの飯を[[兵糧|兵食]]の主食とした[[大日本帝国陸軍|陸軍]]が[[日露戦争]]で多数の[[脚気]]による戦病死者を出したのに対し、麦飯を採用した[[大日本帝国海軍|海軍]]では脚気の発生を阻止した(ただし、麦飯の食味を嫌って麦を捨ててしまう烹炊兵が多かったらしく、海軍でもその後脚気禍が何度も発生している)ことが知られる。