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[[1996年]]1月の村山内閣総辞職後、同月'''[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]に改称'''し、3月には新党として第1回大会を開催、日本社会党の名称は消滅した。[[小選挙区比例代表並立制]]のもとでは、社民党単独での衆議院議席獲得は至難であることが予想されたため、新党さきがけとの合併や、[[鳩山由紀夫]]・[[船田元]]らが提唱した新党構想への合流などの議論が絶えなかった。現在の社民党は日本社会党との連続性を標榜しているが、成立当時は逆に社会党との断絶を強調していた。
 
新党構想は結局、鳩山由紀夫・邦夫兄弟や[[菅直人]]らが中心となり同年衆議院解散直前結成された'''[[民主党 (日本 1996-1998)|民主党]]'''として現実のものとなった。社民党は一旦、民主党への丸ごと参加を決定したが、鳩山由紀夫の「排除の論理」に反発して、すぐに撤回。現職の[[幹事長]]であった[[佐藤観樹]]を含め約半数の党所属国会議員が「個々人の決断」のもと社民党を去り、民主党結成に参加した。幹部候補生と目された前[[北海道知事一覧|北海道知事]][[横路孝弘]]も民主党を選んだ。一方、村山ら約半数の議員は社民党に残留し、土井たか子を党首に復帰させ、[[第41回衆議院議員総選挙|第41回総選挙]]に臨んだ。支持労組の大半は民主党支持に転じたが、地方組織のかなりの部分は社民党に残った。村山内閣時の路線転換に批判的な議員、党員の一部は、離党して'''[[新社会党]]'''を結成した。
 
=== 小政党への転落 ===