「森成利」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
主題とされていない作品群を整理。
19行目:
[[画像:The end of Mori Ranmaru.jpg|250px|thumb|本能寺で討ち死にする森蘭丸<br/>([[右田年英]]画)]]
[[画像:Grave of Mori brothers at Kajō-ji.jpg|250px|thumb|森蘭丸・坊丸・力丸の墓(可成寺)]]
 
'''森 成利'''(もり なりとし)は、[[安土桃山時代]]の[[武将]]。'''森 蘭丸'''(もり らんまる)という名で知られる[[織田信長]]の近習である。[[本能寺の変]]で主君と2人の弟と共に討死した。
 
27 ⟶ 28行目:
 
== 生涯 ==
[[永禄]]8年([[1565年]])、織田信長の家臣・[[森可成]]の3男として[[尾張国|尾張]][[葉栗郡]]蓮台<ref group="注釈">成利の出生当時、葉栗郡は尾張国に属しており、[[天正]]14年([[1586年]])の木曽川氾濫で流路が変わったことにより、[[美濃国|美濃]]となっている。</ref>に生まれる。
 
天正5年([[1577年]])5月、織田信長に[[小姓]]として弟らと共に召し抱えられる<ref name="戦国179"/><ref name="GekitoOdagundan">{{Cite book|author=|year=1990|title=歴史群像シリーズ20 激闘・織田軍団|publisher=[[学習研究社]]|page=170~173}}</ref><ref>『兼山記』</ref>。以後、信長の側近として活動する。天正9年([[1581年]])には[[近江国]]に500石の知行を与えられ、この時期からただの小姓ではなく事務官としての役割を果たすようになっていった<ref name="GekitoOdagundan" />。
35 ⟶ 36行目:
天正10年([[1582年]])、[[甲斐国|甲斐]][[武田氏]]滅亡後は[[甲州征伐]]に貢献したとして[[信濃国|信濃]][[北信地方|川中島]]に領地替えとなった兄・長可に替わって美濃[[金山城 (美濃国)|金山城]]の城主<ref>『[[信長公記]]』</ref><ref>『[[兼山記]]』</ref>、あるいは美濃[[岩村城]]の城主となり、5万石を与えられたという<ref name="GekitoOdagundan" /><ref group="注釈">『信長公記』『兼山記』では長可に代わって金山城の城主となっており、『遠山来由記』、『[[巌邑府誌]]』では森蘭丸が[[岩村城]]を、[[団忠正]]が金山城を与えられたと記されている。</ref>。ただし成利は在城せず、長可の家老・[[各務元正]] が成利に付けられ、城代を務めた<ref name="戦国180"/>。
 
同年、本能寺の変において本能寺で[[明智光秀]]の軍1万に囲まれて健闘するも、信長に槍で傷を負わせた明智配下の[[安田国継]](天野源右衛門)によって討ち取られた<ref name="戦国180"/>。享年18<ref name="戦国180"/>。討たれる際、成利は白小袖を着て修善寺の平元結びで髪を茶筅髷に結っていたといわれる<ref name="戦国180"/>。ただし、これは源右衛門本人の証言によるものであり、信長に槍で傷を負わせたという証言にも疑問が残っており<ref>天野源右衛門覚書</ref>確証はない<ref>名将言行録</ref>。本城惣右衛門覚書ではまた異なる記述がなされてある。<ref>本城惣右衛門覚書</ref>さらに[[ルイス・フロイス]]の『[[フロイス日本史|日本史]]』では信長はしばらく戦ったが、腕に銃弾を受けると、自ら部屋に入り、襖を閉じてそこで切腹したとされている。このように信長や成利の最期も諸説が入り乱れており、確たる事実は明らかになってはいない。
 
== 人物像・逸話 ==
50 ⟶ 51行目:
『決定版図説・戦国甲冑集』などには「森蘭丸所用の具足」とされる[[当世具足]]が記載されているが、この具足は日本甲冑史学研究会会長の[[井伊達夫]](当時中村姓)が彦根で発見して川越の[[古美術商]]・奥平長良に譲ったものであり、両人とも名前を公表した上で「自分たちが発見、預かった品で(成利のものではなく)無名の鎧」、「もう少しどこかに信憑性が欲しい」と成利所用のものであることをはっきりと否定している。なお発見当時には前立などはなく、また、どのような経緯で成利の具足とされるようになったのかは不明である<ref>{{Cite book|author=井伊達夫|title=赤備え―武田と井伊と真田と|publisher=[[宮帯出版社]]|year=2007}}</ref>。
 
== 関連森成利を題材とした作品 ==
<!--主人公・準主人公として扱われている作品のみを記載してください-->
; テレビドラマ・映画
* [[本能寺合戦]]([[1908年]]、[[日活]]、演:[[嵐璃徳]])
* [[春風怨]]([[1924年]]、[[帝国キネマ]]、演:[[片岡仁引]])
* [[地獄に落ちた光秀]]([[1926年]]、日活、演:[[片岡松燕]])
* [[森蘭丸 (1930年の映画)|森蘭丸]]([[1930年]]、[[松竹キネマ]]、演:[[阪東寿之助]])
* [[夜襲本能寺]](松竹キネマ、演:[[林敏夫]])
* [[お市の方 (映画)|お市の方]]([[大映]]、演:[[宗春太郎]])
* [[森蘭丸 (1955年の映画)|森蘭丸]]([[1955年]]、日活、演:[[坂田藤十郎 (4代目)|中村扇雀]])
* [[日本ロマンス旅行]]([[新東宝]]、演:[[和田桂之助]])
* [[敵は本能寺にあり#映画|敵は本能寺にあり]]([[1960年]]、松竹、演:[[中村吉右衛門 (2代目)|中村萬之助]])
* [[太閤記 (NHK大河ドラマ)|太閤記]]([[1965年]]、[[NHK大河ドラマ]]、演:[[片岡仁左衛門 (15代目)|片岡孝夫]])
* [[国盗り物語 (NHK大河ドラマ)|国盗り物語]]([[1973年]]、NHK大河ドラマ、演:[[中島久之]])
* [[新書太閤記]](1973年、[[テレビ朝日|NET]]、演:[[太田博之]])
* [[影武者 (映画)|影武者]]([[1980年]]([[東宝]]、演:[[山中康仁]])
* [[おんな太閤記]]([[1981年]]、NHK大河ドラマ、演:[[森下陽]])
* [[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]([[1983年]]、NHK大河ドラマ、演:[[土家歩]])
* [[春日局 (NHK大河ドラマ)|春日局]]([[1989年]]、NHK大河ドラマ、演:[[内池学]])
* [[信長 KING OF ZIPANGU]]([[1992年]]、NHK大河ドラマ、演:[[石野太呂字]])
* [[森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜]]([[1993年]]、テレビ東京、演:[[ユキリョウイチ|佑季良一]])
<!--作品の詳細が不明なためコメントアウト
* [[織田信長 (1994年のテレビドラマ)|織田信長]]([[1994年]]、テレビ東京、演:[[大沢樹生]])
* [[影武者 織田信長春風怨]]([[19961924年]]、テレビ朝日[[帝国キネマ]]、演:[[正木慎也片岡仁引]])
* [[秀吉 (NHK大河ドラマ) |秀吉夜襲本能寺]]([[1996年]]、NHK大河ドラ松竹キネマ、演:[[松岡昌宏林敏夫]])-->
* [[利家とまつ〜加賀百万石物語〜]]([[2002年]]、NHK大河ドラマ、演:[[ウエンツ瑛士]])
* [[新春ワイド時代劇]]『[[国盗り物語]]』([[2005年]]、テレビ東京、演:[[丸山隆平]])
* [[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]]([[2006年]]、NHK大河ドラマ、演:[[渡辺大]])
* [[江〜姫たちの戦国〜]]([[2011年]]、NHK大河ドラマ、演:[[瀬戸康史]])
* [[戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜]]([[2011年]]、テレビ神奈川、演:[[鈴木拡樹]])
* [[信長のシェフ]]([[2013年]]、金曜ナイトドラマ、演:[[永瀬廉]])
* [[軍師官兵衛]](2014年、NHK大河ドラマ、演:[[柿澤勇人]])
 
== 脚注 ==
92 ⟶ 74行目:
* [[泉秀樹]]『戦国なるほど人物事典』([[PHP研究所]]、[[2003年]])
* 『世界人物逸話大事典』([[角川書店]])
;史料
 
== 外部リンク ==