「ラディクスエースエンタテインメント」の版間の差分

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アニメスタジオ「[[スタジオコクピット|コクピット]]」からの出向で東映動画(現:[[東映アニメーション]])で演助進行をしていた<ref>[http://www.radixzero.co.jp/mainstaffs/negishi.html 旧公式サイト内の根岸弘のプロフィール]より</ref>アニメーション監督・演出家の[[ねぎしひろし|根岸弘]]がフリーを経て[[1991年]]にアニメイトフィルム企画制作のビデオシリーズ『[[KO世紀ビースト三獣士]]』の制作スタッフを集めるために「有限会社ゼロ・G(ジー)・ルーム」を創業。[[1995年]]に『[[セイバーマリオネット|SMガールズ・セイバーマリオネットR]]』(ビデオシリーズ)で自社制作を開始した。同年12月、版権管理を目的に「株式会社ラディクス」を設立。翌年、竜の子プロダクション(現:[[タツノコプロ]])のプロデューサーであった植田基生が参加。[[2001年]]には版権管理に加え、制作自体も行うようになったラディクス本体がゼロ・ジー・ルームを吸収合併し、企画・制作を一貫して行う体制が確立した。
 
[[2005年]]、ブレインナビなどを傘下に持つ持ち株会社「[[ウェッジホールディングス]]」の100%子会社となり、同年9月、「株式会社ラディクスエースエンタテインメント」に商号を変更。2006年10月1日をもってウェッジホールディングス本体に吸収合併され、同日解散した。子会社の「有限会社ラディクス」は2006年12月に株式会社に登記変更し、[[2007年]]2月1日に同一グループ内のモバニメーションと合併。「株式会社ラディクスモバニメーション」へ商号変更した。
 
== 沿革 ==