「内掛け」の版間の差分

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この決まり手をよく用いていた元[[大関]][[増位山太志郎|増位山]]によると、「内掛けは後ろへ反ろうとする力士が食いやすい。[[外掛け]]は足腰のいい人には効かない事が多いが、内掛けは完璧に掛ければ足腰のいい力士でも決まる。足を相手の足の足首に内側から絡ませてはね上げる。掛けられた側は、ひざの関節が外へ向かって開きながら後ろへ体重が傾くため、残そうとしても踏ん張りが利きにくい。」という理由によるもの。掛ける足は相手の足の高い位置に掛けた方が見た目は派手であるが、できるだけ低い位置に踵を払う様に掛けるのが肝要である。
 
古くは[[昭和]]初期に活躍した元[[関脇]][[新海幸藏|新海]]や、[[1950年代]]の元大関[[琴ヶ濵貞雄|琴ヶ濵]]が得意とした。ただ、この両者の内掛けは様相が異なっており、前者のもの新海は足を掛けたら絶対に離さずにそのままもたれ込むというものであったが、後者のもに対し、琴ヶ濵はタイミングよく一発でスパッと相手を仕留めるようなものであった<ref>『平成21年版大相撲力士名鑑』([[共同通信社]])より</ref>。[[1970年代]]以降になると前述の増位山を初め、元大関の[[霧島一博|霧島]]が[[貴乃花光司|貴花田]]や[[貴ノ浪貞博|貴ノ浪]]らに対して、この技で勝利した事がある。また小兵力士ながら[[小結]]まで昇進した[[舞の海秀平|舞の海]]、[[智乃花伸哉|智ノ花]]、[[海鵬涼至|海鵬]]などもそれぞれ内掛けで相手力士を倒しており、多くの相撲ファンを沸かせていた。
*[[1994年]]11月場所12日目、幕内最軽量の[[前頭]]8枚目舞の海が、幕内最重量の同5枚目[[KONISHIKI|小錦]]を左内掛けで破った一番[http://www.youtube.com/watch?v=bKxyETFgwmQ]。