削除された内容 追加された内容
ふの (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
m →‎概要: 昭和天皇の崩御は1989年のため修正。
10行目:
 
==概要==
[[第二次世界大戦]]以前には、東京・京都・奈良の帝室博物館(現・[[国立博物館]])の所蔵品や奈良・[[正倉院]]の宝物なども「御物」であった。同大戦後は、[[日本国憲法]]第88条]]の規定に基づき、皇室の資産は原則として[[国有財産]]となり、[[皇居]]をはじめ[[御用地]]、[[御用邸]]、[[修学院離宮]]、[[桂離宮]]、[[埼玉鴨場]]などの土地建物、[[正倉院]]の宝物などはすべて国有財産(皇室用財産)となった。ただし、[[日本国憲法]]下においても、皇室伝来の美術品などは引き続き「御物」と呼ばれ、[[宮内庁侍従職]]が管理していた。
 
[[19881989年]]の[[昭和天皇]]の[[崩御]]に伴い、翌[[1989]]、「御物」の大部分は[[相続]]にともなって天皇から[[国庫]]に物納され、[[宮内庁]]管轄の[[三の丸尚蔵館]]に収蔵されている。三の丸尚蔵館所蔵品には[[狩野永徳]]筆の「[[唐獅子図屏風]]」、絵巻の名品として知られる「[[春日権現験記|春日権現験記絵巻]]」「[[蒙古襲来絵詞]]」、[[伊藤若冲]]の代表作「[[動植綵絵]]」などが含まれる。これらの作品は、[[1989年]]以降は「御物」ではなく国有財産という位置付けになっている。
 
ただし、「[[三種の神器]]」をはじめとする、皇室にゆかりの深い品々や、歴代天皇・皇族の肖像、遺筆、儀式に用いる刀剣類などの[[皇室経済法]]7条にいう、「[[皇位]]とともに伝わるべき由緒ある物(『[[御由緒物]]』)」については国庫の帰属から除かれ、1989年以降も「御物」と呼ばれている。これらの御物は[[宮内庁侍従職]]の管理下にあり、おもに[[皇居]]内の[[山里御文庫]]と[[京都御所]]内の[[東山御文庫]]に保管されている<ref>森暢平『天皇家の財布』(新潮社、2003)によると、天皇家所有の美術品のうち、3,180件が「国有財産」、580件が「御由緒物」に仕分けされ、残りの800件が引き続き「御物」にとどまったという(同書pp119 - 126)</ref>。