「宋明理学」の版間の差分

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道学の流れを汲み、他の流派の言説をも取り入れつつ、後世に大きな影響力のある学問体系を構築したのは[[南宋]]の'''[[朱熹]]'''である。朱熹の学派は道学の主流となり、このため[[程朱学派]]の名がある。朱熹は[[存在論]]として[[理]]と[[気]]を述べ、理気二元論を主張している。彼らの学問は[[性即理]]を主張したので'''性理学'''と呼ばれる。
 
一方、朱熹と同時代の[[陸九淵]]や[[明代]]中葉の[[王陽明|王守仁]](王陽明)のグループは[[心即理]]を主張したので、'''心学'''と呼ばれる。心学は明代中期に隆盛した。
 
理気論は宋代は理気二元論、明代は気一元論へと変化していった。
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*[[心学]](陸王心学・陸王学派・心学派)
**[[象山学派]] - [[陸九淵]]
**[[陽明学|陽明学派]] - [[王陽明|王守仁]]
***[[泰州学派]] - [[王艮]]
*[[事功の学]](功利の学・事功学派・功利学派)