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'''節刀'''(せっとう、せちとう)は、[[日本]]の[[古代]]([[奈良時代]]から[[平安時代]])において、[[天皇]]が出征する[[将軍]]または[[遣唐使]]の大使に持たせた、任命の印としての[[刀]]。標の太刀(しるしのたち)、標剣(しるしのつるぎ)とも。「節」は符節(割り符)のことで、使臣が印として持つ物の意。任務を終了すると、天皇に返還された。
 
節刀を持たされた将軍を'''持節将軍'''(じせつしょうぐん)、節刀を持たされた大使を'''持節大使'''(じせつたいし)という。持節将軍は、辺境の反乱を鎮定するために派遣される軍団の総指揮官で、鎮定する対象により、[[征隼人将軍]]、[[征夷大将軍]]、[[征東将軍]]などと呼ばれた。
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[[明治時代]]には、天皇に[[統帥権]]([[大日本帝国憲法]]11条)を含むすべての権力を集中させる体制が整備され、[[富国強兵]]の国策の下、天皇の軍事的権威も高められた。制度の近代化・西欧化が進められる中で、節刀の慣習は[[元帥]]への刀剣下賜という形で残される。[[1904年]](明治37年)の[[日露戦争]]のときには、[[皇太子]](後の[[大正天皇]])が[[連合艦隊司令長官]]の[[東郷平八郎]]に名刀・[[一文字吉房]]<ref>東郷平八郎指揮刀、[[重要文化財]]指定、[[東郷神社]]蔵。</ref>を下賜して激励した。これも節刀の一種と考えられている。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
*[[元帥杖]]
*[[節刀ヶ岳]]