「精神医学」の版間の差分
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== 歴史 ==
{{Main|精神保健の歴史}}
=== 古代・中世 ===
古代ギリシアでは[[てんかん]]は神聖病と呼ばれていたが、[[ヒポクラテス]]、[[ガレノン]]、[[プラトン]]はこれを否定した<ref name="kango">{{Cite|和書|title=学生のための精神看護学 |author=吉浜 |author2=末安 |publisher=医学書院 |date=2010-06 |isbn=9784260001892 |pages=38-54}}</ref>。
中世ヨーロッパでは精神病患者は悪魔憑きと呼ばれ迫害された<ref name="kango" />。大衆の見世物にされることもあった。
日本では[[平安時代]]には、[[物狂い]]、[[狐憑き]]と呼ばれ、江戸時代初期から、[[きちがい]](幾知可比)という用例もみられる
=== 19世紀 ===
精神医学(Psychiatrie:ドイツ語)という言葉は、1808 年にドイツの医学者ライルJ.C.Reilによってつくられた。
その発端は、啓蒙思想の残響を受けながら18 世紀後半から 19 世紀前半に取り組まれた精神病者の解放運動によって徐々に構築されていったものである。それまで精神病者は「狂人」として、収容施設や療養院に拘束され非人間的な処遇を受けていた
これに対して、ヨーロッパ各地に精神病者へのこうした非人間的処遇に反対して立ち上がる人が登場した。たとえばイギリスの[[ヨーク市]]に理想的な施設
精神医学が今日的な意味の学問体系を指すようになるのは、 1850 年ごろからヨーロッパ各地の大学医学部が必要な講座としてこれを設置しはじめてからである。当時の精神医学は、「精神病は脳病である」([[W.グリージンガー]])という言葉が象徴するように,疾患の本態を脳内に求める身体論的方向をめざすものだった。精神疾患は、こうして神経学者たちの専門となった。またその一方で,遺伝・素因・体質などの要因を重視する内因論の方向が、19世紀末に[[エミール・クレペリン]]、[[クルト・シュナイダー]]らにより、症状に基づいた疾病単位の分類をなしとげて一応の完成にいたった(記述的精神医学)。
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=== 日本における問題 ===
[[File:oecd-mentalhospitalstay.svg|thumb|right|350px|OECD各国の平均精神病院入院日数<ref>OECD Stat. 日本については厚労省「医療施設(動態)調査・病院報告の概況」より</ref>。]]
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世界で有数の精神病院数と入院患者がいる日本においては{{Sfn|OECD|2014|Country press releases - Japan}}、以前に比べて保険点数上のメリットが減少したこともあり、かつて横行していた「社会からの隔離」目的の新たな[[社会的入院]]は少し減少した。
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=== スティグマ ===
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大規模疫学調査による重症患者の未治療率の算出などからもわかるように、患者に対する[[偏見]]や[[差別]]は相当根強く、『精神病患者=頭がおかしい危険人物』という誤解も見られる。例えば未だに「精神病院に行ったほうがいい」などという言葉が相手を[[侮辱]]する意図で使われているし、退院できる患者の家族から「一生入れたままにして、戻してくれるな」と言われることもある。
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== 脚注 ==
{{Refbegin}}{{Reflist|2}}{{Refend}}
== 参考文献 ==
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{{DEFAULTSORT:せいしんいかく}}
[[Category:精神医学|*]]
[[Category:メンタルヘルス]]
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