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File:Maginot2ix.jpg|マジノ線の砲塔
File:Fort Drum DN-SN-83-09891.JPEG|マニラ湾の[[フォート・ドラム (エル・フレイル島)|フォート・ドラム]]
File:FortDrumSandyHook.jpg|マニラ湾のフォート・ドラムの35.6cmカノン砲
File:Gneisenau-1.jpg|陸揚げして流用された[[シャルンホルスト級戦艦]]「[[グナイゼナウ (戦艦)|グナイゼナウ]]」の主砲塔
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File:Bundesarchiv_Bild_101I-587-2267-24,_Italien,_befestigte_Stellung,_Inspektion.jpg|[[V号戦車パンター]]の砲塔を改造・流用した東方の壁砲塔
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現代では永久要塞自体が時代遅れになって姿を消していっているが、かつてはよく築かれていた。要塞が有する[[砲台]]は、[[砲撃]]に晒されても簡単には破壊されないように[[掩体壕|掩体]]内に収められる事が多いが、対応できる方向を増やすために砲塔化される事もあった。具体的には[[フランス]]の[[マジノ線]]やまた、[[フィリピン]]、[[コレヒドール島]]付近の[[フォート・ドラム (エル・フレイル島)|フォート・ドラム]](「コンクリート戦艦」と呼ばれた)が有名である。
 
[[戦車]]が進化を遂げ、要塞が容易に迂回されてしまうようになった[[第二次世界大戦]]以降は大規模な要塞が作られることが減ったが、迂回しづらい隘路を閉塞する意図などで要塞が築かれた。戦車は車体部分を埋めて即席[[トーチカ]]することができるが、はじめから戦車の砲塔を要塞に埋め込んでしまうこともままあった。例えば[[アルバニア]]、[[スイス]]、[[オーストリア]]などで、旧式戦車の砲塔をコンクリートに埋めてトーチカとすることが行われていた。初の全周砲塔を備える戦車である[[ルノー FT-17 軽戦車|ルノー FT-17]]からして、後の第二次大戦前夜でマジノ戦を強化するための即席トーチカとして多数が設置された。対する[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]も旧式化した戦車の砲塔を要塞建設に用いたり<ref name="tank_turret"/>、新規にパンター戦車の砲塔を利用したトーチカを開発し、防衛戦に使用していた。