「徳島県立池田高等学校」の版間の差分

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==== やまびこ打線 ====
監督の蔦は「芯を外れていても腕力が強ければ飛距離が伸びる」という、金属製[[バット (野球)|バット]]の特性を生かすために、ひたすら部員の上半身を鍛え上げた。こうして、緻密なプレーはせずにとにかく打ちまくるという強打の「やまびこ打線」を生み出した。[[1982年]]夏の甲子園([[第64回全国高等学校野球選手権大会|第64回大会]])では[[畠山準]]、[[水野雄仁]]を擁し、チーム6戦85安打という当時の大会新記録を見事に打ち立てた。特にラストバッターの山口博史は2回戦・3回戦と2試合連続で本塁打を放ち「恐怖の9番打者」と恐れられ、切れ目のない打線の象徴となった。
 
更に準々決勝の[[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部|早稲田実業]]戦では、のちにプロでも活躍したエース[[荒木大輔]]と[[石井丈裕]]の両投手から、大量14点を奪い圧勝。そして決勝戦では、「コツコツ点を取って守り切る」という従来の甲子園戦法の代表のような[[広島県立広島商業高等学校|広島商業]]<ref>白川進 『俺たちの蔦野球-子供たちはついてきた-』 [[サンケイ出版]] 1983年、p219</ref>相手に初回から猛打で圧倒し、12-2で粉砕した。