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Tea of O (会話 | 投稿記録)
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[[1932年]][[10月2日]]、[[宮崎県]][[西都市]]に生まれる。
 
[[宮崎県立妻高等学校]]、[[千葉大学]][[工学部]]工業意匠学科卒業後、[[そごう]][[デパート]]へ入社。新聞でソニーの求人広告を見つけ中途入社する。ソニー創業者の[[盛田昭夫]]、[[井深大]]に見出され、とくに盛田昭夫とは、社長と社員の枠組みを超えた強い信頼関係を生涯に渡り築く。
 
「'''SONY'''」の[[ロゴタイプ|ロゴマーク]]をデザイン、同社の主力業務用モニターであった「プロフィール」プロジェクトリーダー、[[つくば万博]]にて「ジャンボトロン」担当。ソニー[[ウォークマン]]開発プロジェクトのリーダーを務め、「'''Mr.ウォークマン'''」([[ウォークマン]]の生みの親、もしくはウォークマンの父)と呼ばれていた<ref>{{cite news |title=黒木靖夫氏死去 元ソニー取締役 |agency=|publisher=共同通信 |date=2007-7-12 |url=http://www.47news.jp/CN/200707/CN2007071201000934.html|accessdate=2014-11-11}}</ref><ref>{{cite news |title=技術経営戦略考【最期の教え】黒木 靖夫氏・ウォークマン流ブランド構築術 |agency=|publisher=日経テクノロジーオンライン|date=2007-9-26 |url=http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070920/139436/?rt=nocnt|accessdate=2014-11-11}}</ref>。その後、ウォークマン開発の功績を買われソニー取締役に就任する。
 
[[ソニー企業]]株式会社社長を歴任し、[[1993年]]に退職、独立する。同年に[[富山県]][[知事]]を務めた[[中沖豊]]に請われ、富山インダストリアルデザインセンター(現在の[[富山県総合デザインセンター]])所長に就任し、デザインマネジメント導入による産業振興に尽力。製品化を前提としたコンクール「とやまプロダクトデザインコンペ」を主催するなど、デザイナーと地域産業を結びつける様々な取り組みを行った。
 
[[東北芸術工科大学]]客員教授、[[成安造形大学]]客員教授、[[立命館大学]]客員教授を歴任し、工業デザインを通しての人材育成にも力を注いだ。