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RJANKA (会話 | 投稿記録)
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先史時代に人々の生活において、自然環境の中で生きていく上で様々な理由によって負傷して瘀痛(疼痛)や腫痛に苦しむ事も少なくなかったと考えられる。そんなときに、人々は自分あるいは仲間の患部を手で撫でたり擦ったりすることによって、外傷による瘀痛を散らして腫れをひかせて痛みを和らげる効果があることを発見した。当時においてはこれも有効な外科治療の一環であり、これが按摩術のルーツであると考えられる。
 
世界最古の医学書である[[黄帝内経]]には、いくつかの部位に按摩の文字が書かれているが、具体的な手法については記載がない。「導引按蹻は中央より出ず」とあり、この導引按蹻が按摩とする人がいるが誤りである。他にも「導引とは筋骨を揺がし支節を動かすを謂う。按は皮肉を抑え按ずるを謂う。蹻とは手足を捷挙するを謂う」ともあるように、これは現在でいう[[気功]]のことであり、按摩そのものを指す記述ではないと思われる。また、[[骨折]]・[[脱臼]]の治療などの今日の外科・整形外科の分野に属する治療や包帯法などに関する分野も扱っていたと考えられている。
 
中国においては[[隋]]の時代には按摩は独立した専門科として扱われるようになった。当時の医師達は按摩を「外邪の滞留を体内から除き、負傷によって体内に侵入する事を防ぐ」方法として内科・外科・小児科を問わずに行われた。朝廷内でも按摩博士、按摩師、按摩生が設置された。[[北宋]]以後においては、按摩の理論的な発展が見られ、『[[宋史]]』芸文志によれば按摩の専門書が書かれたとする記事がある(但し、現存せず)。[[明]]以後には医学における按摩行為を特に「'''推拿'''(すいな)」とも称されるようになった。