「天竜三郎」の版間の差分

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ミラー海神 (会話 | 投稿記録)
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[[1903年]][[11月1日]]に、[[静岡県]][[浜名郡]][[三方原村]](現:静岡県[[浜松市]][[北区_(浜松市)|北区]])で農家を営む家に三男として生まれる。三男に生まれたことからそのまま「三郎」と名付けられた。学問を志したことで尋常高等小学校を卒業したが、この時で既に身長が176cmに達していたことから、「静岡に怪童あり」との評判を聞きつけた[[出羽海|出羽ノ海]](元横綱[[常陸山谷右エ門]])から卒業式当日に勧誘されたが、当初は勉学を志していたので断った。しかし、三郎は三男だったために土地の風習で中学校へ進学することが出来ず、地元にあった浅野造船所に勤務する同郷の人物(重役)の[[書生]]を務めつつ、[[東芝]]の川崎工場にあった工手学校に通学して勉強していた。
 
工手学校での勉強が続いていたある日、再び出羽ノ海から「部屋へ遊びに来るように」との勧誘が続き、1年後に直接訪問してきた時の再度の勧誘で入門を決意、父親からは見送りに来た駅で「[[勘当]]だ、入幕までこの駅に降りてはならない」と言われた。[[1920年]]1月場所で[[初土俵]]を踏む。[[四股名]]は最初地元の古戦場に因んで「三方ヶ原」としたが、[[番付]]に名が載って2場所目で「天竜」と改めている
 
[[士族]]出身で力士の地位向上に心を砕いた常陸山に師事したことは、彼の相撲観やその後の行く末に多大な影響を与えた。