「台東会館事件」の版間の差分

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== 事件の発端 ==
[[在日本朝鮮人連盟]]は、結成以来[[日本共産党]]の尖兵として日本各地で[[暴動]]を起こし続けてきたが、[[1949年]][[9月8日]]、[[団体等規正令]]の「'''暴力主義的団体'''」として解散を命じられ、その[[資産]]は没収されることになった。
 
[[東京都]]では、朝連台東支部があった「'''台東会館'''」を接収することになったが、旧朝連関係者は「台東会館は朝連の[[財産]]ではない」と異議申し立てを行ったため、東京都が[[法務府]]に問い合わせたところ、法務府当局は「台東会館は朝連の財産である」と裁定を下した。
 
法務府の判断を受け、東京都は朝連に対し台東会館を明け渡すよう通告したが、一向にその気配がなかったため、[[1950年]][[3月10日]]に接収を行うことになった。
 
== 事件の概要 ==
1950年3月10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。[[警視庁 (旧警察法)|警視庁]]では不測の事態に備えて多数の[[日本の警察官|警察官]]を警戒に当たらせた。
 
係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。
 
旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口に[[バリケード]]を設け、周辺[[道路]]を巡回して警戒していた。
 
3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため[[日本の警察|警察]]は強行突入を断行し、朝鮮人119人を[[逮捕|検挙]]した。
 
== 裁判 ==
検挙者のうち25人を[[解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令]](昭和23年政令第238号)違反と[[公務の執行を妨害する罪|公務執行妨害罪]]で[[起訴]]し、後の[[裁判]]で有罪が確定した。
 
== 参考文献 ==
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* [[在日本朝鮮人連盟]]
* [[団体等規正令]]
* [[解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令]]
* [[警視庁 (旧警察法)]]