「ウディ・ショウ」の版間の差分

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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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[[ニュージャージー州]][[ニューアーク (ニュージャージー州)|ニューアーク]]出身。[[1962年]]18歳で[[エリック・ドルフィー]]との共演、これが初レコーディングとなる。[[ホレス・シルヴァー]]グループや[[アート・ブレイキー]]の[[ジャズ・メッセンジャーズ]]というジャズの名門グループに参加する一方、[[ジャッキー・マクリーン]]、[[ジョー・ヘンダーソン]]、[[マッコイ・タイナー]]、[[チック・コリア]]、[[アンドリュー・ヒル]]、[[ラリー・ヤング(ミュージシャン)|ラリー・ヤング]]といった新世代のミュージシャンとも共演し、[[ハード・バップ]]から[[アバンギャルド]]まで一歩進んだ演奏スタイルで、'60年代後半以降から'70年代にかけて[[フレディ・ハバード]]と並ぶ実力派のトランペッターとして注目される。しかしながら、複雑でややもすると難解に聞こえるフレーズの多用や生真面目すぎる演奏スタイルのためか、スター的人気には到らず「過小評価、不当な評価」と言われることが多い。
 
'70年代、多くのミュージシャンが[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]ブームに乗ってロック・ポップ調のスタイルに移行していく中、ウディは伝統的スタイルながらもハードでアグレッシブなジャズを貫き、数々の力作を残した。1974年、ミューズ、1977年、CBS(コロムビア・レコード)と契約。中でも[[コロムビア・レコード]]から発表された''Rosewood'' (1977)や''Stepping Stones'' (1978)は'70年代の硬派ジャズの名盤して人気が高った作品を発表
 
1989年2月、ブルックリンで地下鉄のホームから転落(弱っていた視力のせいともいわれる)し左腕を切断。その後の経過も思わしくなく、同年5月に死去した。
 
 
他の共演者は[[スライド・ハンプトン]]、[[レネ・マクリーン]]、[[アンソニー・ブラクストン]]、[[セシル・マクビー]]、[[ボビー・ハッチャーソン]]等が挙げられる。