「アンダマン・ニコバル諸島」の版間の差分

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原住民たちはイギリスの統治のなかでも狩猟生活などにより自給自足の生活を営んでいた。それに対し、イギリスが送り込んだ流刑民及びその子孫は土木工事や木材生産に従事し、代償として配給される食糧等の物資を頼りに生活を送っていた。これは従属性をコントロールする意図もあったと考えられ、農業はココナツの栽培など粗放的な限られたもので、[[米]]や[[ムギ|麦]]などの主要穀物が生産されることは無かった。
 
[[第二次世界大戦]]に入ると[[日本軍]]がポートブレアに上陸([[1942年]][[3月23日]])。[[日本]]はアンダマン・ニコバル諸島を[[スバス・チャンドラ・ボース]]による[[自由インド仮政府]]の統治下に置いた。ボースは大戦中にアンダマン・ニコバル諸島を訪れ、アンダマンを殉教者を意味するシャヒード (शहीद, Shaheed) に、そしてニコバルを自治を意味するスワラージ (स्वराज, Swaraj) に改名した。[[インド国民軍]]のロガナサン中佐([[:en:A. D. Loganathan|en]])がアンダマン・ニコバル諸島を統治した。一方、イギリスは[[東南アジア]]方面への反攻への足がかりとするため諸島の奪還を企画、[[海上封鎖]]を行い物資の補給を途絶させた。農業生産が行われていない島内では餓死者を出す事態となり、戦後、数十名の日本軍関係者が責任を負わされ、[[BC級戦犯]]として[[シンガポール]]にて処刑されている。
 
アンダマン・ニコバル諸島は、[[1947年]]のインドの独立によりインド領となった。