「二階堂行親」の版間の差分

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父の死後、[[蘆名氏]]の養子になった兄に代わって[[二階堂氏]]19代当主となるが、早世した。没年は1582年とも言われている。
 
行親死後は盛義の未亡人阿南(おなみ)の方(大乗院)が須賀川城主となり、家老の[[須田盛秀]]が実質的な城代になって、[[1589年]]に[[伊達政宗]]に攻め滅ぼされるまで領内を統治した。

行親には弟に行久と行栄がいたが、家督を継いだ様子はなく、詳細は不明である