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恋愛詩人としてのサッポーは[[古代ローマ]]時代にもよく知られ、[[オウィディウス]]は抒情詩「愛について」の中で「いまやサッポーの名はあらゆる国々に知られている」(Ars Amatoria, 第28行)と述べている。
 
その一方で後世にはサッポーの作品は頽廃的であるとみなされ、さまざまな非難を浴びた。[[古代ローマ時代]]にもサッポーは非難の的となっていたが、その後、[[キリスト教]]が興隆し、[[神学|キリスト教学]]が独善的な性格を強めてゆくに従い、サッポーの詩は「反聖書的である」とされた。そして、[[キリスト教]]勢力である[[東ローマ帝国]]の支配がエジプトにまで及ぶに至って、サッポーの作品の多くが失われた。
 
当時、サッポーの詩はエジプトの[[アレクサンドリア図書館]]に所蔵されていた。これは、アレクサンドリアが学問の都市であっただけでなく、キリスト教信徒や[[東ローマ帝国]]皇帝が、無神論を含むギリシャ哲学や観察に基づく科学を「聖書を冒涜するもの」として非常に迫害したのでするようになると、ギリシャの学者たちは、ギシャが[[東ローマ帝国]]スト教の力支配下及び入るとくいエジプトやペルシャ属州亡命し逃げて学問を続けていたためである。(390年には、[[東ローマ帝国]]皇帝[[テオドシウス1世]]によって、”同性愛の罪を犯した”とされるゴート人のギリシャ学者を捕らえるという名目の下、[[テッサロニカの虐殺]]{{enlink|Massacre of Thessalonica||a=on}}が起こる。)
しかし、そのエジプトも[[東ローマ帝国キリスト教]]の支配下力が及ぶようり、415年には、アレクサンドリアで、ギリシャ学問の学校の女性校長であり著名な数学者・哲学者・無神論者でもあった[[ヒュパティア]]がキリスト教徒によって裸にされて吊され全身の肉を牡蠣の貝殻でそぎ落とされて惨殺されるという大虐殺事件が起こった。さらに、エジプトを統括する司祭の指揮のもと、キリスト教徒は[[アレクサンドリア図書館]]をも破壊し蔵書を焼き払った。所蔵されていた大量の貴重なギリシャ学問やヘレニズム学術の成果がすべて消失し、サッポーの詩もまた失われた。サッポーの一部の詩は、キリスト教徒の迫害を逃れて[[サーサーン朝]]ペルシアに逃れへ亡命した学者たちにより現在まで残っている。
 
前述のようにサッポーは非常に女性同性愛と結びつけられやすかったため、現代では、Sapphic (サッポー風の)は女性同性愛者を、Sapphismは女性同性愛を示すのに用いられる。また、女性同性愛者を呼ぶ一般的な呼称である「レスビアン」もサッポーが[[レスボス島]]出身であることに由来する。ちなみに、英語で「レスボス人」は"lesbian"と表記されるが、これは「レズビアン」の"lesbian"と同じつづりである。そのことから、同島の現代の一般名称は[[レスボス島|ミティリーニ島]]の名称に好んで替えられて呼ばれている。