「カイバル峠」の版間の差分

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カイバル峠は、[[シルクロード]]から南下してインドにむかう際の交易路としても重要な役割を果たした。そのため、交易の利権を得ようとする諸勢力がこの地の周辺をめぐって抗争を続けた。インドのイスラーム化もこのルートから侵入した勢力によって進められた。
[[File:KhybePaßGrenzeAfghanistan.jpg|left|thumb|峠遠望]]
 
16世紀前半には、[[ウズベク人]]の侵入を受けて滅亡した[[ティムール朝]]の残党がインドへ侵入し、[[ムガル帝国]]を建国した。19世紀前半には、アフガニスタンにまで影響力を広げようとしたイギリスが、この地を戦場としてアフガン人と争った([[アフガン戦争|第一次アフガン戦争]])。1880年、第二次アフガン戦争を経てアフガニスタンを事実上の保護国としたイギリスは、この地の交通網を整備した。現在は[[アジアハイウェイ1号線]]の一部となっている。