「ジョン・ナッシュ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
62行目:
[[1953年]]、当時の恋人であったエレノア(Eleanor Stier)との間に子供が生まれるが、結婚には至らなかった。
1950年代の中頃に[[サンタモニカ]]で逮捕されたことが原因で[[ランド研究所]]でのポストを失った。この事件でのストレスから結婚を考え始め、
[[1958年]]、アリシアが妊娠し、また、29歳の若さでMITの終身職員の権利を得る。
▲===闘病生活 - 快復、晩年===
▲[[1958年]]、29歳の若さでMITの終身職員の権利を得る。同年秋、アリシアが身篭る。またこの頃、数学界最大の難問と言われる[[リーマン予想]]の証明に専心するが、その困難さが彼の精神を蝕む要因となったとの見解を示す者もいる。
[[1963年]]にアリシアと離婚。しかし、アリシアは[[1970年]]に
1980年代後半には統合失調症から快復した。
[[1994年]]にはゼルテン、ハーサニとともに[[アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞|ノーベル経済学賞]]を受賞。その後もプリンストン大学で数学の研究を続けていた。この頃にはアシリアとの関係も元の状態に戻っており、[[2001年]]に再婚した。▼
===晩年・最期===
[[2015年]]にはニーレンバーグとともにアーベル賞を受賞。同年[[5月23日]]、[[5月19日]]にオスロで開かれた[[アーベル賞]]授賞式からの帰路の途中、[[ニュージャージー州]]でアリシアと共に乗っていたタクシーが事故を起こし、車外に投げ出された夫婦は共に死亡した。ジョンは86歳、アリシアは82歳であった<ref name="20150525NJ" />。▼
1990年代以降は形式上研究者として引退していたが、プリンストン大学の数学科の校舎にはナッシュの研究室があり、研究を続けていた。
▲[[1994年]]に
世界中の大学や学会で講演、指導を行い、[[1999年]]に[[カーネギーメロン大学]]から名誉博士号(科学技術)を、[[2003年]]に[[フェデリコ2世・ナポリ大学]]から名誉博士号(経済学)を<ref>{{cite web |url=http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/2003/03/19/napoli-laurea-nash-il-genio-dei-numeri.html |title=Napoli, laurea a Nash il 'genio dei numeri' |date=March 19, 2003 |publisher=la Repubblica.it |first=Patrizia |last=Capua |language=Italian}}</ref>、[[2007年]]に[[アントワープ大学]]から名誉博士号(経済学)を、[[2011年]]に[[香港城市大学]]から名誉博士号(科学)を<ref name = cs-slate-2001-12>{{Cite news |first=Chris |last=Suellentrop |title=A Real Number |url=http://www.slate.com/articles/arts/culturebox/2001/12/a_real_number.single.html |magazine=[[Slate (magazine)|Slate]] |date=2001-12-21| archive-url = https://web.archive.org/web/20140104104531/http://www.slate.com/articles/arts/culturebox/2001/12/a_real_number.single.html| archive-date = 2014-01-04| dead-url = no| access-date = 2015-05-28 |quote=''A Beautiful Mind's'' John Nash is nowhere near as complicated as the real one.}}</ref>、それぞれ贈られている。
[[2012年]]に[[アメリカ数学会]]の[[フェロー]]に選出された<ref>[http://www.ams.org/profession/fellows-list List of Fellows of the American Mathematical Society], retrieved February 24, 2013.</ref>。
▲[[2015年]]に
== 参考文献 ==
|