「ブルーノ・サンマルチノ」の版間の差分

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[[ファイル:Smmartino, Street, and Watts.jpg|thumb|200px|right|左からサンマルチノ、[[エイドリアン・ストリート]]、[[ビル・ワット]](2005年)]]
* [[1970年代]]以降は[[かつら (装身具)|カツラ]]を着用しており、試合中に相手レスラーから頭部を掴まれることを極端に嫌っていた。その当時、既にトップレスラーとして不動の地位を確立していたサンマルチノに対しては、暗黙の了解として御法度の技が存在した(カツラが外れる怖れのある[[ヘッドロック]]など)。もっとも、この頃全日本に登場したサンマルチノに対し、馬場は遠慮無く脳天[[チョップ]]を放っているが、これによって2人の友情が壊れるようなことはなかった(当時は[[インターネット]]などなく、日本でカツラが脱げたとしてもそれがニューヨークに報じられる可能性はまったくなかった)。
* サンマルチノはニューヨークマットの第一人者として東海岸テリトリーだけでなく、[[NWA (プロレス)|NWA]]世界王者の[[ルー・テーズ]]や[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]世界王者の[[バーン・ガニア]]と並ぶアメリカンプロレスの英雄としてもその名を高く知られた。<br />その功績から、早い段階で[[WWE殿堂]]に迎えられて然るべき人物だったにもかかわらず、[[ビンス・マクマホン]]との絶縁状態が続いていたため、WWE側からの再三に渡る要請にも一切応じようとせず殿堂入りは実現していなかった。しかし[[2013年]]、ビンスの娘婿[[トリプルH]]のオファーにより殿堂入りを承諾。
* 80歳を迎える年齢であるにかかわらず肉体の維持なおトレーニングに熱心に取り組んいるため肉体は未だ筋骨隆々としており、時折全盛期を髣髴とさせる、筋骨隆々な肉体美をメディアに提供している。
 
== 得意技 ==