「小田政治」の版間の差分

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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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| 主君 =
| 氏族 = [[足利氏]]([[堀越公方]]家)→[[小田氏]]
| 父母 = 父:[[足利政知]]?<br/>養父:''[[小田成治]]''?
| 兄弟 = <!-- [[足利茶々丸]]、[[足利潤童子]]、[[足利義澄]]、'''政治''' -->
| 妻 =
| 子 = [[小田朝治|朝治]]、'''[[小田氏治|氏治]]'''
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== 生涯 ==
明応元年(1492年)、[[堀越公方]]・[[足利政知]]の子として生まれる。父の政知は前年に死去していたため、父の死後に生まれたことになる。また、[[室町幕府]]第11代将軍・[[足利義澄]]の弟に当たるとされる。
 
但し、『小田事蹟』では小田氏第13代当主・[[小田成治]]の実子(三男)であるとしている。この場合、第8代将軍[[足利義政]](政知の弟、1436-1490)から「政」の字を賜っている筈だが、政治が生まれた時には義政も政知に先立って亡くなっており、しかもおおよそ将軍が兄の11代将軍義澄(明応3年([[1495年]])から在任)の代になっているので、生誕年に誤りがない限りはこの説は誤りとみて良いだろう。よって、成治の嫡男である[[小田治孝]]がその弟の[[小田顕家]]に暗殺されたため、政知の子を成治の[[養子|養嗣子]]に迎えたとする説が有力と思われる。この場合、名前については亡き父・'''政'''知と養父・成'''治'''から1字ずつ取ったということになる。
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== 脚注 ==
{{Reflist}}
<references/>
 
{{DEFAULTSORT:おた まさはる}}