「ジョージ・アリヨシ」の版間の差分

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1926年、当時アメリカの準州であったハワイの[[ホノルル]]市出生。[[福岡県]]出身で、力士を辞めた後に貨物船の船員となり、[[1919年]]に寄港したハワイを気に入りそのまま定住した父と、[[熊本県]]出身の母の元に生まれる。両親は豆腐屋経営を経て、クリーニング店を立ち上げ生計を立てた。幼少期に軽い[[言語障害]]を患う。[[1944年]]にマッキンリー高校を卒業後、[[アメリカ陸軍情報部|陸軍情報部日本語学校]]に入学、廃墟となった[[東京]]で[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の通訳として勤務した。帰国後は、[[ハワイ大学システム|ハワイ大学]][[ハワイ大学マノア校|マノア校]]を経て[[ミシガン州立大学]]に編入学し、[[1949年]]に学士号を取得、[[1952年]]には[[ミシガン大学]][[ロー・スクール (アメリカ合衆国)|法科大学院]]において、[[法務博士|法学士]]号も取得した。
 
大学卒業後は、ハワイに戻り弁護士事務所に入所したが、[[1954年]]9月に民主党ハワイ州代表(当時)だったジョン・アンソニー・バーンズからの打診により、州下院議員選挙に出馬し当選する。その後は、[[1958年]]に州上院議員に当選。翌[[1959年]]には[[アメリカ合衆国ハワイが州に昇格した後も州上院|連邦上院]]議員に選出される。連邦上院議員在任中の[[1970年]]に、アリヨシを後継者にすることを見据えていたバーンズ知事の依頼により、[[ハワイ州副知事|副知事]]に就任し、[[1973年]]10月にバーンズが病に倒れた際は、アリヨシが知事代理としての役割を務めた。
 
その後は、[[1974年]]・[[1978年]]・[[1982年]]に亘って3選を果たし、退任後は複数の会社や[[非営利団体]]で活躍した。