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[[ファイル:Belarus-Minsk-Museum of GPW Exhibition-3.jpg|thumb|right|250px|[[ベラルーシ]]の[[ミンスク]]で展示されているLi-2]]
'''Li-2'''(リスノフ2;[[ロシア語]]:'''{{lang|ru|Ли-2}}'''<small>リー・ドヴァー</small>)は、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[リスノーフ]][[設計局]]の開発した[[航空機]]。[[アメリカ合衆国]]の[[ダグラス DC-3]]の生産ライセンスを取得、部品点数を減らし機体強度を高め、固定武装を追加するなど改設計し、軍用[[輸送機]]として生産された。[[第二次世界大戦]]後、[[北大西洋条約機構]](NATO)は、この航空機に対し「キャブ(Cab)」という[[NATOコードネーム]]を用いた。[[1940年]]から[[1945年]]までおよそ2000機が生産されたが、輸送だけでなく爆撃も可能なよう改造された事例もり、った。

戦後もソ連および東側諸国で[[旅客機]]や輸送機として運用されるなど改造・改装を受けながら幅広く活躍し、ソ連軍では1970年代まで運用された。
 
== 概略 ==
ソ連では、[[K・A・カリーニン記念試作設計局|カリーニン設計局]]や[[ツポレフ]]設計局による大型旅客機の開発と[[アエロフロート・ロシア航空|アエロフロート]]での運行がなされていたが、[[1930年代]]中ごろには[[K-5 (航空機)|K-5]]などの機体では収容力不足となっていた。そこで、新しい旅客機の開発が各設計者に求められた。また、海外からの機体の輸入やその[[ライセンス生産]]も検討された。対象は、アメリカ合衆国の[[DC-2]]やDC-3であった。
 
ダグラス社に派遣された経験を持つ技術者[[ボリース・リスノーフ|ボリース・パーヴロヴィチ・リスノーフ]]が、DC-3を基本にソ連向けに1293カ所にも及ぶ改良を加え、寒冷気候に強いソ連製[[エンジン]]を搭載した輸送機を設計し、これを「PS-84」と呼称した。アメリカ流のインチ規格の原設計をソ連で標準のメートル法に修正したほか、降着装置は雪中用の橇に交換装着可能で、とするなど様々な仕様変更によりを行った。この結果もとのDC-3に比べ400kg程重量が増したため、飛行性能は低下している。この機体は[[1942年]]以降Li-2の名称で軍用輸送機として量産された。また爆弾やロケット弾を胴体及び内翼下に1 tまで搭載できる代用軽[[爆撃機]]としての運用も行われた。
 
ソ連は[[大祖国戦争]](第二次世界大戦の独ソ戦)中に、アメリカ合衆国からDC-3の軍用タイプであるC-47を700機供与されており、こちらも軍用輸送機として大いに活用された。中には、Li-2に準じてエンジンを換装するなど改善を施した機体もあった。