「憲政記念館」の版間の差分

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資料展示をするほか、特別展・講演会などが催されている。
 
元憲政記念館主幹の伊藤光一と元東大教授の伊藤隆によれば、憲政記念館は近代日本政治に関する多数の貴重資料(樺山資紀・鈴木隆夫・重光葵関係等々)を所蔵しているが、未整理・非公開のまま放置されているものが多い。また閲覧の制度がきちんと整備・運用されていないため、研究者の資料利用に大きな支障をきたしている。特別展等の準備に追われて整理する時間がなく、その間に職員も入れ替わって行くため、貴重資料を収集しておきながら杜撰な管理体制下にあると問題視されている<ref>科学研究費成果報告書 「日本近代史料に関する情報機関についての予備的研究」(基盤研究(B)(1)、平成 9・10 年度、研究代表伊藤隆、課題番号:09490005)内、伊藤光一氏談話(1998年3月19日)197-200頁。http://kins.jp/pdf/10ito_k.pdf</ref>。
 
[[江戸時代]]には、[[大老]]職を務めた[[井伊直弼]]([[彦根藩]])の[[上屋敷]]がここにあった。また戦前は[[陸軍省]]、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]、[[陸地測量部]]([[国土地理院]]の前身)があった場所である。
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== 時計塔 ==
[[画像:Memorial Hall of constitutional politics Japan02s3200.jpg|thumb|300px|時計塔]]
尾崎記念会館(現 憲政記念館)建設時に、その施設の一環として、塔前面の噴水池・花壇とともに設計され、1960年7月に完成した。三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。
 
塔の高さは「百尺竿頭一歩を進む」と言うことわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3m)よりも高くした31.5mに設定された。時計は時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られた物であったが、現在は国産の物に改修されている。
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* [[東京地下鉄]][[永田町駅]]から徒歩5分
* [[東京地下鉄]][[国会議事堂前駅]]から徒歩7分
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
 
* [http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kensei/kensei.htm 憲政記念館]
* [http://www.ozakiyukio.jp/ 尾崎行雄記念財団]