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ミラー海神 (会話 | 投稿記録)
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[[1935年]]発表の処女作『ほの明り』 ''Faux Jour'' でポピュリスト賞を受賞。[[1938年]]には[[ジャン=ポール・サルトル]]の『[[嘔吐 (小説)|嘔吐]]』と争い、小説『蜘蛛』 ''L'Araigne'' でフランス文学の登竜門[[ゴンクール賞]]を獲得して一流作家の地位を確立した。異例の若さで[[アカデミー・フランセーズ]]入りし、死ぬまで欠かさず作品を発表しつづけた。その散文としての端正さはもとより、物語の巧みさ、芸術性の高さには全く衰えが見られなかった。生涯で100以上の作品を発表し、[[イヴァン4世]]、[[エカチェリーナ2世]]、[[アントン・チェーホフ]]、[[レフ・トルストイ]]、[[グリゴリー・ラスプーチン]]などロシア史上の人物やロシア文学者の評伝は人気が高い。
 
[[2007年]]に95歳で死去。葬儀は同年[[3月5日]]、パリにある[[正教会]]の[[大聖堂]]:[[アレクサンドル・ネフスキー大聖堂 (パリ)|アレクサンドル・ネフスキー大聖堂]]([[w:fr:Cathédrale Saint-Alexandre-Nevski de Paris]])で行われた。自伝的小説に『サトラップの息子』がある。
 
== 著作 ==
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[[Category:フランスの小説家]]
[[Category:ロシアの小説家]]
[[Category:フランスの随筆家]]
[[Category:ロシアの随筆家]]
[[Category:反共主義者]]
[[Category:フランスの正教徒]]