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<!--{{神道}}-->
{{要出典|'''穢れ'''(けがれ)とは、時間・空間・物体・身体・行為などが、理想ではない状態・性質になっていることを表す<!--神道の宗教-->概念である。|date=2015年3月}}
 
== 一般の穢れ観念 ==
{{要出典|穢れまたは不浄に相当する観念は世界的に見られ、質・程度の差こそあれ多くの文化に存在し、[[宗教学]]的、[[文化人類学]]的に見て重要な概念である。穢れたものは、それに物理的に触れることだけでなく精神的に触れることによっても「穢れ」が「[[伝染]]」すると見なされている。|date=2015年3月}}手や体を水で洗うことは目に見える汚れを落とすと同時に「穢れを祓う」ことでもあると考えられている。近・現代の[[自然科学]]的な説明体系では手や体を水で洗うことは「[[病原体]]を洗い流すために洗う」などと説明するが、そうした説明体系・観念体系とは異なった[[言語ゲーム|言葉の体系]]となっている。
穢れ観念は現代でも[[禊]]、[[潅頂]]や[[洗礼]]を始め様々な宗教儀式に名残を留めている。{{要出典|神道の「罪穢れ」のように罪と穢れを同列に扱う考え方も、古代には特殊なものではなかったと考えられている。|date=2015年3月}}
穢れているとされる対象としては、[[死]]・[[病気]]・[[怪我]]・[[女性]]ならびにこれらに関するものが代表的である。
 
具体例を挙げると、文化・宗教によって大きく異なるが、排泄物・腐敗物、[[血]]・体液・[[月経]]・[[出産]]、特定または一般の[[動物]]・食物、女性・男女間のあらゆる接触ならびに行為(ごくまれに男性、同性間の性関係ならびに行為)・自らの共同体以外の人(他県人・外国人・異民族)やその文化・特定の血筋または身分の人(不可触賎民など)・特定の職業(芸能、金融業、精肉業等)・体の一部(左手を食事に使ってはならない等)などがある。これらは必ずしも絶対的な穢れのみというわけではなく、行為などによって異なることが多い(例えば、ある動物に触れるのは構わないが食べてはいけない、など)。
 
穢れの観念は民間信仰はもとより、多数の有力宗教にも見られる。[[ユダヤ教]]では古くから様々な穢れの観念が事細かに規定され、これは[[食タブー]]などに関して[[イスラム教]]にも影響を与え、現代でも多くの人々の生活様式に影響を残している。[[バラモン教]]の穢れ観念は現代の[[ヒンドゥー教]]に受け継がれ、また[[仏教]]にも影響を残した。
 
「穢れ」に対立する概念は「清浄」または「神聖」であるが、穢れと神聖はどちらも[[タブー]]として遠ざけられる対象であり、タブーであることだけが強調されて、必ずしも厳密に区別できないこともある。例えばユダヤ教では動物の血は食に関する限り「[[不浄な生き物]]」と同様に忌まれるものであるが、これはユダヤ教において「血は命であるから食べてはならない」([[申命記]])と説明される神聖なものであることに起因するものであり、決して穢れたものであるからではない。
 
==日本==
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また、祓いとの関連においては、祓いは本来穢れを除去するものではなく、穢れをもたらした者などが神に対する謝罪などの意味で財物を捧げる行為(天津罪・国津罪などに対する財産刑)を指し、中世日本の神社においては穢れを理由として祓いそのものが一定期間中止・延期された事例の存在が指摘されている<ref>渡邉俊「『春日清祓記』の基礎的考察」『中世社会の刑罰と法観念』(吉川弘文館、2011年) ISBN 978-4-642-02899-8 (原論文発表は2010年)</ref>。
 
=== 一般の穢れ観念現代 ===
{{要出典|穢れまたは不浄に相当する観念は世界的に見られ、質・程度の差こそあれ多くの文化に存在し、[[宗教学]]的、[[文化人類学]]的に見て重要な概念である。穢れたものは、それに物理的に触れることだけでなく精神的に触れることによっても「穢れ」が「[[伝染]]」すると見なされている。|date=2015年3月}}手や体を水で洗うことは目に見える汚れを落とすと同時に「穢れを祓う」ことでもあると考えられている。近・現代の[[自然科学]]的な説明体系では手や体を水で洗うことは「[[病原体]]を洗い流すために洗う」などと説明するが、そうした説明体系・観念体系とは異なった[[言語ゲーム|言葉の体系]]となっている。
穢れ観念は現代でも[[禊]]、[[潅頂]]や[[洗礼]]を始め様々な宗教儀式に名残を留めている。{{要出典|神道の「罪穢れ」のように罪と穢れを同列に扱う考え方も、古代には特殊なものではなかったと考えられている。|date=2015年3月}}
穢れているとされる対象としては、[[死]]・[[病気]]・[[怪我]]・[[女性]]ならびにこれらに関するものが代表的である。
 
具体例を挙げると、文化・宗教によって大きく異なるが、排泄物・腐敗物、[[血]]・体液・[[月経]]・[[出産]]、特定または一般の[[動物]]・食物、女性・男女間のあらゆる接触ならびに行為(ごくまれに男性、同性間の性関係ならびに行為)・自らの共同体以外の人(他県人・外国人・異民族)やその文化・特定の血筋または身分の人(不可触賎民など)・特定の職業(芸能、金融業、精肉業等)・体の一部(左手を食事に使ってはならない等)などがある。これらは必ずしも絶対的な穢れのみというわけではなく、行為などによって異なることが多い(例えば、ある動物に触れるのは構わないが食べてはいけない、など)。
 
穢れの観念は民間信仰はもとより、多数の有力宗教にも見られる。[[ユダヤ教]]では古くから様々な穢れの観念が事細かに規定され、これは[[食タブー]]などに関して[[イスラム教]]にも影響を与え、現代でも多くの人々の生活様式に影響を残している。[[バラモン教]]の穢れ観念は現代の[[ヒンドゥー教]]に受け継がれ、また[[仏教]]にも影響を残した。
 
「穢れ」に対立する概念は「清浄」または「神聖」であるが、穢れと神聖はどちらも[[タブー]]として遠ざけられる対象であり、タブーであることだけが強調されて、必ずしも厳密に区別できないこともある。例えばユダヤ教では動物の血は食に関する限り「[[不浄な生き物]]」と同様に忌まれるものであるが、これはユダヤ教において「血は命であるから食べてはならない」([[申命記]])と説明される神聖なものであることに起因するものであり、決して穢れたものであるからではない。
 
[[福島第一原子力発電所事故]]に伴う[[福島県]]などからの避難民や物資に対する感情的差別の問題について、穢れ思想が根底にあるという指摘がなされている<ref>[http://www.gepr.org/ja/contents/20120326-01/ 穢れ思想とつくられた母親像から見えた放射能問題−「現代化」問われる日本社会]、[[石川公彌子]]</ref>。
 
== 脚注 ==
<references/>
 
== 関連項目 ==
*[[触穢]]