「ナツメグ」の版間の差分
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== 特徴 ==
原産地は[[東インド諸島]]
メースを除いた種子を
石灰に浸す工程は[[オランダ東インド会社]]時代に、ナツメグが出荷前までに発芽しないようにという意図から始められたものだが、科学的には意味のない慣習となっている。現在では、輸入側の国がこの工程を省略させる場合もある{{sfn|ギュイヨ
香りの主体となる成分は[[ピネン]]、[[カンフェン]]、[[オイゲノール]]、[[ミリスチシン]](Allyl -3,4,5-trihydroxybenzene-methylene-methyl ether)である。
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[[6世紀]]にアラビア人によって[[コンスタンティノープル]]に「インドのくるみ」(nux indica)という産物が伝来していた記録があり、それがナツメグを指すという説もあるが、[[ビンロウジ]]や[[ココヤシ]]の実の可能性もあり確定はできていない{{sfn|ギュイヨ |1987|pp=92-96}}。
ナツメグが記録に現れ始めるのは10世紀頃の事で、地理学者[[マスウーディー]]によってマレー諸島東部の産品として報告され、11世紀初め頃にはペルシアの知識人[[イブン・スィーナー]]によって医学的な考察がなされている。ヨーロッパで記録に現れ始めるのは12世紀末頃からだが、当時はナツメグよりメースの需要の方が高く、イギリスではメース約500グラムに羊3頭分の価値があった。
モルッカ諸島の貿易権を最初に握ったのは[[ポルトガル]]人で、16世紀を通じてナツメグ取引きの中心はリスボンだった。次いで[[オランダ]]がその支配権を奪い、17世紀からはオランダがナツメグを独占した。オランダは独占維持のために、[[ニッケイ]]や[[チョウジ]]と同様に管理下以外の島々の木を切り倒して回る徹底した制限政策をとった。1768年、[[フランス]]の植物学者[[ピエール・ポワブル]]は密かにナツメグの苗を[[フランス領フランス島 (モーリシャス)|モーリシャス諸島]]に移植し、オランダの独占を打破した。18世紀末
== 利用 ==
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== 精神作用と毒性 ==
低量では特に問題はないが、生のナツメグを多量(約
{{ cite pmid | 15735280 }}</ref>、強力な精神錯乱状態を引き起こすことも報告されている<ref>{{cite web | url=http://www.erowid.org/plants/nutmeg/ | title = Nutmeg | work = Plants | publisher = Erowid | accessdate = 2012-04-22 }}</ref>。過去には[[人工妊娠中絶|堕胎]]薬としてナツメグが使われたこともある。{{要出典範囲|幻覚症状が現れ出すのは
ヒトでの死亡例は希であるが、8歳の子供<ref name=Weil>{{ cite journal | journal = Bulletin on Narcotics | url = http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/bulletin/bulletin_1966-01-01_4_page003.html | year = 1966 | volume = 1966 | issue = 4 | pages = 15–23 | title = The Use of Nutmeg as a Psychotropic Agent | last = Weil | first = Andrew | publisher = UNODC }}</ref>と55歳の大人の2件の報告がある(後者は[[フルニトラゼパム]]との併用に起因)<ref>{{ cite pmid | 11343860 }}</ref>。
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== 参考文献 ==
* {{Cite |和書 |author = リュシアン・ギュイヨ |translator = 池崎一郎、平山弓月、八木尚子 |title = 香辛料の世界史 |date = 1987 |publisher = 白水社 |isbn = 4-560-05682-X |ref = harv }}
* {{Cite book |和書 |last=ツァラ |first = フレッド |translator = 竹田円 |title = スパイスの世界史 |date = 2014 |publisher = 原書房 |isbn = |ref = harv }}
== 関連項目 ==
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