「集団就職」の版間の差分
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安い労働力を大量に供給する集団就職によって日本の[[高度経済成長]]が支えられたと言える。また、[[1967年]](昭和42年)の[[美濃部亮吉]][[東京都知事]]の誕生を皮切りに[[1970年代]]後半まで大都市を中心に見られた[[革新自治体|革新首長]]の支持基盤になったとも言われている。
[[池田内閣]]は人づくり政策を発表して、教育に力を入れた。技術革新のため知識を備えた高卒以上の若い労働力が必要となり、1966年(昭和41年)度の[[中央教育審議会]]の答申では[[高等学校]]を少数のエリートコースと、技術労働者養成コースにふるい分ける事が主張された
===退潮と終焉===
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