「セルゲイ・ラフマニノフ」の版間の差分
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全ての作品は伝統的な[[調|調性]]音楽の枠内で書かれており、[[ロマン派音楽|ロマン派]]的な語法から大きく外れることはなかった。この姿勢はロシアを出国した以後の作品でも貫かれた。モスクワ音楽院の同窓で一歳年長の[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]が革新的な作曲語法を追求し、後の調性崩壊に至る道筋に先鞭を付けたのとはこの点で対照的だった。
ラフマニノフ自身は1941年の『The Etude』誌のインタビューにおいて、自らの創作における姿勢について次のように述べていた。
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