「吹奏楽の歴史」の版間の差分

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この時代のコルネットはツィンクの別名であるので、混乱を避けるために変更いたしました。
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[[ファイル:Portrait of a Lute Player by Annibale Carracci - Staatliche Kunstsammlung Dresden.jpg|left|thumb|140px|[[ヴェネツィア共和国]]を中心に活躍した[[ジョヴァンニ・ガブリエーリ]]]]
一方、楽曲の面では、[[ルネサンス音楽]]の時期には、[[コルネット]]や[[ツィンク]](コルネット)<ref>[http://irombook.blogspot.jp/2010/03/blog-post_30.html Web楽器事典Vol.1 「ツィンク」]</ref>、[[トロンボーン]]などの管楽器を用いた応答歌唱対位法の音楽が[[ヴェネツィア]]の[[サン・マルコ寺院]]を拠点に演奏されるようになった。ここにおいて、管楽器中心の編成がなされた要因のひとつとして考えられるのが、サン・マルコ寺院そのものの巨大さである。[[ヴェネツィア楽派]]の中心的人物としては、[[16世紀]]後葉の[[ジョヴァンニ・ガブリエーリ]]の名が知られており、彼の作品は今日でも金管アンサンブルの重要な演目のひとつとなっている<ref name=bs88/>。
 
それに対し、[[ライプツィヒ]]など[[ドイツ]]の[[自治都市]]にあっては、[[教会]]や王室とは直接かかわりをもたない市民音楽家が現れた<ref name=bs88/>。16世紀にはギルドに由来するシュタットファイファー(街の笛吹)と呼ばれる音楽家が活動した<ref name=nagao>[[#長生|長生(1999)pp.20-22]]</ref>。また、市庁舎の塔からツィンクやトロンボーンなどの管楽器を吹奏し、市民に音楽を提供するトゥルムムジーク(塔の音楽)も街をにぎわせたが、[[17世紀]]ドイツに現れた[[ヨハン・クリストフ・ペツェル]]は、そのための作品を数多く残している<ref name=bs88/><ref name=nagao/><ref group="注釈">[[19世紀]]中葉に世界初の市民階級による自主経営オーケストラとして発足したのが、ライプツィヒの[[ゲヴァントハウス管弦楽団]]である。</ref>。このように管楽器を中心とする楽曲は、式典や合図のため主として野外で利用されるようになったが、[[リコーダー]]の合奏など、使用する楽器によっては室内で楽しまれる編成もあった<ref name=osaki/>。