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== 生涯 ==
=== 信長時代 ===
[[織田信長]]の弟の一人であるが、嫡兄信長とは年齢が13歳離れており、前半生の事歴はあまりわかっていない。
 
[[天正]]2年([[1574年]])、[[尾張国]][[知多郡]]を与えられ、[[大草城 (尾張国知多郡)|大草城]]を改修する。以降、信長の長男[[織田信忠|信忠]]の旗下にあったと思われ、[[甲州征伐]]などに従軍している。[[天正]]9年([[1581年]])の[[京都御馬揃え]]では信忠・[[織田信雄|信雄]]・[[織田信包|信包]]・[[織田信孝|信孝]]・[[津田信澄]]の後に続いている。また、天正10年([[1582年]])の[[左義長]]での順は信忠・信雄・長益・信包となっている。甲州征伐では木曽口から鳥居峠を攻め、木曽勢に助力して鳥居峠を攻略。降伏した[[深志城]]の受け取り役を務める。また[[森長可]]・[[団忠正]]と共に[[上野国]]に出兵し、[[小幡氏]]を降伏させている。
 
=== 本能寺の変後 ===
同年の[[本能寺の変]]の際は、信忠とともに[[二条城|二条御所]]にあったが、長益自身は城を脱出し、[[近江国|近江]][[近江八幡市|安土]]を経て[[岐阜市|岐阜]]へ逃れたとされる。変後は甥の信雄に仕え、検地奉行などを務める。[[小牧・長久手の戦い]]では信雄方として[[徳川家康]]に助力。[[蟹江城合戦]]では[[大野城 (尾張国海部郡)|大野城]]の[[山口重政]]救援、[[下市場城]]攻略にも参陣しており、[[蟹江城]]の[[滝川一益]]の降伏を仲介した。戦後家康と[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]の講和に際して折衝役を務めている。また、[[佐々成政]]と秀吉の間を斡旋したともいう。天正16年([[1588年]])、[[豊臣氏|豊臣姓]]を下賜された<ref>村川浩平『日本近世武家政権論』、近代文芸社、2000年。</ref>
 
天正18年([[1590年]])の信雄[[改易]]後は、秀吉の[[御伽衆]]として[[摂津国]][[島下郡]]味舌(現在の[[大阪府]][[摂津市]])2,000石を領した。この頃、剃髪して有楽斎と称す。姪の[[淀殿]]とは庇護者として深い関係にあり、[[豊臣鶴松|鶴松]]出産の際も立ち会っている。
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=== 江戸幕府政権下 ===
[[画像:Urakuen Joan.jpg|thumb|250px|[[国宝]][[茶室]][[如庵]](現在は[[愛知県]][[犬山市]][[名鉄犬山ホテル]]内の有楽苑(うらくえん)に移築されている)]]
戦後も豊臣家に出仕を続け、淀殿を補佐した。このころ[[建仁寺]]の子院[[正伝院]](現在の正伝永源院)を再建し、院内に茶室・如庵を設けた。現在、[[正伝永源院]](明治期に名称を変更)には長益夫妻、孫・[[織田長好|長好]]らの墓がある。また、長益夫妻、孫娘(次男頼長の娘)、兄・信包らの肖像画も伝わっている。[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]の際にも[[大坂城]]にあり、[[大野治長]]らとともに穏健派として豊臣家を支える中心的な役割を担った。一方、嫡男の[[織田頼長|頼長]]は強硬派であり、和平派としばしば対立している。冬の陣後、治長と共に和睦を締結させ、家康に人質を出すが、[[大坂の役#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]を前にして再戦の機運が高まる中、家康・[[徳川秀忠|秀忠]]に対し「誰も自分の下知を聞かず、もはや城内にいても無意味」と許可を得て豊臣家から離れた。
 
大坂退去後は京都に隠棲し、茶道に専念し、趣味に生きた。[[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])8月、四男・長政、五男・尚長にそれぞれ1万石を分け与え、有楽斎本人は[[隠居]]料として1万石を手元に残した。元和7年([[1621年]])12月13日、京都で死去。[[享年]]76。
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== 有楽町 ==
[[東京都]][[千代田区]]の[[有楽町]](ゆうらくちょう)という町名は、長益の号「有楽斎」に由来し、茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと、徳川方に属し、[[数寄屋橋]]御門の周辺に屋敷を拝領し、その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、[[明治]]時代に「有楽町」と名付けられたとの説が流布しているが、「有楽斎」の「有楽」と有楽町の「有楽」(ゆうらく)の文字が同一なことから生まれた俗説である。有楽町は明治初期に有楽町、永楽町の二つの町名が新たに命名されたもので、有楽斎とは関係ない
有楽町は明治初期に有楽町、永楽町の二つの町名が新たに命名されたもので、有楽斎とは関係ない。
しかし、かつて[[大阪]]にも、有楽斎が居住したといわれる場所に有楽町(うらくちょう)が存在したのは事実。大阪の[http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/37/43.425&el=135/30/01.347&scl=10000&bid=Mlink&gtype=0&sgrp=all 有楽町]は、現在の[[大阪市]][[西成区]][[天下茶屋]]付近であったが、[[太平洋戦争]]後の度重なる[[区画整理]]などによって消滅した。
 
しかし、かつて[[大阪]]にも、有楽斎が居住したといわれる場所に有楽町(うらくちょう)が存在したのは事実。大阪の[http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/37/43.425&el=135/30/01.347&scl=10000&bid=Mlink&gtype=0&sgrp=all 有楽町]は、現在の[[大阪市]][[西成区]][[天下茶屋]]付近であったが、[[太平洋戦争]]後の度重なる[[区画整理]]などによって消滅した。
==関連作品==
=== 小説 ===
*[[堀和久]]『織田有楽斎』 講談社、のち同文庫
*[[斎藤史子]]『小説・織田有楽斎 幻の茶器』 [[淡交社]]、2003年
*[[岳宏一郎]]「花の下 織田有楽斎」 [[講談社文庫]]、『花鳥の乱―利休の七哲』収録
*[[井上靖]]『本覚坊遺文』 [[講談社]]、のち同文庫。
*[[菅靖匡]]『小説 織田有楽斎』 [[学研M文庫]]
 
== 織田長益を主題とした作品 ==
=== 漫画 ===
* [[堀和久]]『織田有楽斎』 講談社、のち同文庫
*[[山田芳裕]]『[[へうげもの]]』(声:[[磯部勉]](アニメ版))
* [[斎藤史子]]『小説・織田有楽斎 幻の茶器』 [[淡交社]]、2003年
 
* [[岳宏一郎]]「花の下 織田有楽斎」 [[講談社文庫]]、『花鳥の乱―利休の七哲』収録
=== 映画 ===
* [[菅靖匡]]『小説 織田有楽斎』 [[学研M文庫]]
* 『[[真田幸村の謀略]]』([[東映]]、1989年)演:[[野口元夫]]
* 『[[利休 (映画)|利休]]』([[松竹]]、1989年)演:[[細川護熙]]
* 『[[千利休 本覺坊遺文]]』([[東宝]]、1989年)演:[[萬屋錦之介]]
 
=== テレビドラマ ===
* 『[[黄金の日日]]』([[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]、1978年)演:[[奥野匡]]
* 『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』(NHK大河ドラマ、1983年)演:[[山本耕一 (俳優)|山本耕一]]
* 『[[風雲!真田幸村]]』([[テレビ東京]]、1989年)演:[[有島淳平]]
* 『[[家康が最も恐れた男 真田幸村]]』(テレビ東京、1998年)演:[[芝本正]]
* 『[[葵 徳川三代]]』(NHK大河ドラマ、2000年)演:[[平松慎吾]]
* 『[[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]]』(NHK大河ドラマ、2006年)演:[[アンドレ (俳優)|アンドレ]]
* 『[[戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち]]』(テレビ東京、2011年)演:[[なべおさみ]]
 
== 脚注 ==