「ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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また、[[中南米]]や[[アフリカ]]諸国の聖職者をバチカンの要職につけた他、中南米やアフリカ諸国の貧困や独裁体制下で苦悩する民衆への同情を示し、[[アルゼンチン]]で行われていた「[[汚い戦争]]」を進めていた[[ホルヘ・ラファエル・ビデラ]][[大統領]](上記の「ロッジP2」は同大統領を支援していた」)が戴冠式に訪れた際には、直接的な表現でアルゼンチンの現状を非難した。
 
 
[[File:Giovanni Paolo I e II.jpg|right|thumb|200px|[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|カロル・ユゼフ・ヴォイティワ枢機卿(のちのヨハネ・パウロ2世)]]とともに]]
しかし教義は保守的であり、論議を呼んだ[[回勅]]『[[フマーネ・ヴィテ]]』の立場を支持していたと言われている。教皇としてまず[[第2バチカン公会議]]の決議事項の実施促進を指示した。ただし、教皇就任以前にイタリアの貧しい労働者の生活の実態を知っていただけに、人工受胎調節([[避妊]])に関しては一定の理解を示し、『フマーネ・ヴィテ』には失望したという説もある。