「蛭子能収」の版間の差分

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== 漫画家として ==
原稿料が出ない代わりに自由な創作が行える『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』([[青林堂]])や『[[アックス (雑誌)|アックス]]』([[青林工藝舎]])など[[アンダーグラウンド (文化)#文化としてのアンダーグラウンド|アンダーグラウンド]]系のに位置する漫画雑誌で作品を発表している。
 
[[根本敬]]<ref>根本は蛭子が世間一般に認知される以前から、蛭子の動向を観察しており、エビス・ウォッチャーの第一人者としても知られ、「何も考えておらず自分勝手」な蛭子の本質(無意識過剰と評したこともある)をつかんでおり、「テレビで見た世間の人は、表面だけ見て『いい人』とだまされている」と語っている。また、2008年には、'''蛭子劇画プロダクション'''という蛭子との漫画共作ユニットを結成。雑誌の企画でそれぞれの画風・作風を真似て競作するなど、関係は深い(根本いわく蛭子は根本の漫画を「読んでくれてない」そうだが)。</ref>、[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]<ref>『自殺直前日記』([[太田出版]])157頁より「蛭子さんや根本さんは天才。自分が描けないことを描いてくれる作家は勇気がある。真にカッコいい(尊敬&崇拝)。私もこーゆー風になりたいと思っているので、無意識に真似して世に出てきた。根本先生、ジョージ秋山先生、蛭子先生、丸尾先生は他人(読者)を全然気にしていない。生身の自分をさらけ出している。勇気がある。私もそうなりたい。でも自分の恥ずかしい部分を認めたくないので描けない。偽物の作家は自分の願望を描いているだけ。こうでありたい自分の姿を描いている。ヒーローを求めている。情けない。私もこれからは、もっと勇気を出して描いていこう。」と日記に書き残しており、彼女が崇拝していた根本敬や蛭子能収の作品のように、「非情に徹して我が道を行く」に徹しきれなかった事を生前述べている。</ref>、[[大槻ケンヂ]]<ref>かつて「俺が音楽でやりたいと思ってたこと全部やられてた。」と大きな衝撃を受けた事を述べている。</ref>、[[花くまゆうさく]]<ref>遠藤ミチロウのカセットブック『ベトナム伝説』に掲載されていた蛭子の漫画を読み、大きなショックを受けて漫画家を志した事を述べている。</ref>、[[福満しげゆき]]<ref>『[[僕の小規模な失敗]]』([[青林工藝舎]])第2話「まんが道失敗!!の巻」より「あんなスゴイマンガを連載する雑誌ってあるのだろうか…?」と大きな衝撃を受けた事を述べている。</ref>、[[遠藤ミチロウ]]<ref name="蛭子にイラストや漫画の仕事を依頼していた。">蛭子にイラストや漫画の仕事を依頼していた。</ref>、[[武内享]]([[チェッカーズ]])<ref name="蛭子にイラストや漫画の仕事を依頼していた。"/>、[[巻上公一]]([[ヒカシュー]])<ref>蛭子の単行本『私はバカになりたい』と同名のシングルを1983年に発表した際に、蛭子にジャケットのイラストを依頼した。蛭子によるジャケットとヒカシューによる独特な曲調が相まって強烈な印象を植え付けた。</ref>、[[柄本明]]<ref>かつて、[[劇団東京乾電池]]のポスター仕事を依頼していた。また、蛭子が芸能界デビューする直接的なきっかけを作った事でも知られる。蛭子の原作を[[周防正行]]がドラマ化した「サラリーマン教室」(1986年7月27日放送)にも主役として出演したことがある。これは蛭子が芸能界デビューする以前のドラマ作品であり、原作者である蛭子本人はこの作品には出演していない。</ref> などに多大な影響を与え、[[198080年代]]の[[サブカルチャー]]界を席巻した事でも知られるが、単行本は絶版などで手に入りにくい。漫画家としての蛭子能収を[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]は「感じたまま、ありのままの自分をさらけ出して描いている本物の作家」と評価している。
 
かなり独特の絵柄と他の追従を許さない不条理な世界感を持っており、漫画の特徴を一言でいうと「'''暴力と狂気にまみれた徹頭徹尾不条理な世界で右往左往する不特定多数の人物を描いた因果で陰鬱な漫画'''」というようなものになる。作品全体には、ある種の緊張感が漂っており、登場人物は尋常でなく汗をかきながら悪夢としか形容出来ない不条理な世界を彷徨い、背景にはストーリーに関係なく[[UFO]]や[[ドクロ]]が[[舞台装置]]として置かれ、無意味に大量の人が死んだり、女の裸が脈絡なく出て来たり、意味のない掛け合いが続いたり、オチの無い結末を迎えるなど狂気に満ちた内容からメジャー誌での連載経験は皆無に等しく、主な活動の場はマイナー誌がほとんどである。