「スコットランド常識学派」の版間の差分

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しかしながら、「常識学派」は消滅したとはいえ、その思想は様々な姿で受け継がれている。例えば先述の'''イギリス観念論'''である。ハミルトンの直系の弟子であるマンセルやスターリングを初めとして、イギリスの哲学者とりわけ'''[[直観主義]]'''に立つ[[ヘンリー・シジウィック]]や[[ジョージ・エドワード・ムーア|G.E.ムア]]のような哲学者は、リードやステュアートの伝統を守り、「コモン・センス」を重要視していた。
 
海峡を渡った[[フランス]]においては、メーヌ・ド・ビランやロワイエ=コラールによってかなり早期からリードやスチュアートの哲学の受容は進んでいた。彼らの影響を強く受けた'''[[ヴィクトル・クーザン]]'''は、常識学派の内観への注目などの観点から思想を展開させ、後に「'''フランス・スピリチュアリスム'''」と呼ばれる、[[アンリ・ベルクソン]]に至る思想潮流を形成することとなる。またクーザンはハミルトン卿と論争を繰り広げるなど、後期常識学派へも強く影響を与えた点も見過ごすことは出来ない。
 
[[大西洋]]を渡った[[アメリカ]]においては、常識学派の著作は、その影響を強く受けた'''ジェームズ・マコッシュ'''らにより[[長老派]]系の大学(例えば[[プリンストン大学]])の教養科目として幅広く利用され、後に[[チャールズ・サンダース・パース|チャールズ・パース]]によって'''「批判的常識主義」'''として新たな展開を迎えることになる。