「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」の版間の差分

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選手はあくまでも会社に籍を置き、その余暇を部活動に当てるという建前は保っていたものの、就業後の練習には残業手当として、試合での勝利に対しては賞与によるなど、さまざまな名目により何らかの報酬を得ていた。このほかにも[[サッカー日本代表|日本代表]]に選出された選手・監督に対しても特別な手当てが別途支払われていた。このような形態を'''企業アマ'''といい、この形態は[[国際サッカー連盟]](FIFA)が定める'''アマチュア規定'''には含まれるものではなかった。
 
特に[[1969年]]に発足した[[読売サッカークラブ]]に所属する選手は本来籍を置くべき会社というものすら持っておらず、純粋にサッカーをすることによって報酬を得ていた。これは完全にプロフェッショナルである(それでも[[よみうりランド]]などに籍を置き、体裁上は会社からの報酬になっていた)。日本サッカー史上最高のスター[[釜本邦茂]]は[[1960年代]]・[[1970年代]]世界各国の一流プロクラブからスカウトの話が絶えなかったが頑なに拒み続けた。理由は一度プロ転向した場合「[[アマチュアリズム]]に反した」となり当時の規定では帰国してもJSL[[日本サッカーリーグ]]復帰やオリンピック予選出場は絶望となる為
 
[[1980年代]]に入って抜本的な改革を迫られたJSLは、こうした状況を追認する形でプロフェッショナル制度の導入を画策した。ただしこれには障害があった。JSLの上位団体となるJFAは[[日本体育協会]](体協)に加盟していたが、体協は純粋なアマチュアプレーヤーの団体を標榜しており、プロフェッショナルプレーヤーを認めた場合体協から追放される恐れがあった。