「ヒューゴ・テオレル」の版間の差分

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彼は、ツル・テオレルとアルミダ・ビルの息子として[[リンシェーピング]]に生まれた。カテドラルスコーランの高校に通い、1921年5月23日に試験にパスした。9月からは、彼は[[カロリンスカ研究所]]で[[医学]]の研究を始め、1924年に医学の学士号を取得した。その後彼は[[パリ]]にある[[パスツール研究所]]の[[アルベール・カルメット]]の元で三ヶ月間[[微生物学]]を学んだ。1930年、彼は[[血液]]中の[[脂肪]]の理論で医学の博士号を取得し、カロリンスカ研究所の生化学の教授になった。
 
テオレルは[[酵素]]の研究に一生を捧げ、[[酸化酵素]]とその作用の発見により1955年度の[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。彼は以前、[[ノーベルカロリンスカ研究所]]の研究員だったが、ノーベル研究所の研究員として初めてのノーベル賞の受賞となった。
 
彼の研究は、[[腎臓]]で[[アルコール]]を分解する[[アルコール脱水素酵素]]の研究の先駆けとなった。彼の研究はスウェーデン国内はもとより、世界中で賞賛され、[[フランス]]、[[ベルギー]]、[[ブラジル]]、[[アメリカ合衆国]]などで名誉学位が授与された。