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== 略歴 ==
[[File:Koko Tsurumi, 41st AG World Championship 2009 (tone).jpg|thumb|right]]
[[大分県]]出身。5歳の時、姉が体操をやっていたことがきっかけで朝日生命体操教室に通い始め。中国人コーチの[[陶暁敏]]にその才能を認められ、基本を徹底的に叩きこまれてきた。後に才能を認められ、コーチ推薦が必要な専門コース(クラブ)・[[朝日生命体操クラブ]]の一員となる。
 
[[2006年]](平成18年)、[[全日本体操競技選手権大会|全日本選手権]]女子個人総合で鶴見は基本技術に裏打ちされた難易度の高い構成(A得点)と美しい姿勢による実施(B得点)により、同じクラブ所属の先輩、[[上村美揮]]と同点ながら<ref>このようなケースでの優勝は1996年に[[菅原リサ]]([[日本体育大学]])、[[大畠佑紀]]([[戸田市スポーツセンター]])以来だった。</ref>、14歳1ヶ月で初優勝<ref>[[1988年]]の[[小菅麻里]]の13歳に次ぎ史上2番目の若さ</ref>。
 
[[藤村女子中学校・高等学校|藤村女子中学校]]卒業後は、体操競技に専念するため藤村女子高には進まず[[大智学園高等学校]](通信制普通科、単位制)へ入学し朝日生命を引き続き拠点にした。[[2007年]](平成19年)[[NHK杯体操選手権|NHK杯]]個人総合で、鶴見のクラブの先輩でもある[[石坂真奈美]]の大会5連覇を阻止し初優勝した。[[世界体操競技選手権|世界選手権]]代表に選ばれ<ref>オリンピック前年の世界選手権は開催年内に15歳に達する選手が出場できる特例のため。</ref>、同大会の団体で12位に入り、[[オリンピック体操競技|オリンピック]]の12年ぶり団体出場権獲得に貢献。個人総合でも日本女子で唯一決勝に進み、15位に入る健闘を見せた。
 
[[2008年]](平成20年)、NHK杯個人総合で連覇を狙ったが負傷の影響から精彩を欠き、段違い平行棒の着地転倒・平均台での落下などのミスで競技中に号泣してしまうが、4位となり初のオリンピック代表に選出された。[[北京オリンピック]]ではエースとして[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロス五輪]]以来24年ぶりとなる団体総合の入賞(5位)に大きく貢献。個人総合でも決勝進出を果たし、17位。種目別の平均台では落下などのミスはあったものの、8位入賞と大健闘を見せた。
 
[[2009年]](平成21年)6月、NHK杯個人総合で優勝し、2位の上村美揮とともに世界選手権代表に選ばれた。同年7月に行われた[[体操JAPAN CUP|ジャパンカップ]]では団体で銅メダル獲得する。個人総合でも4位入賞を果たした。10月、[[ロンドン]]([[英国イギリス]])で行われた世界選手権の個人総合決勝で銅メダルを獲得更に種目別の段違い平行棒で銀メダルを獲得した。日本女子選手による世界選手権での複数メダル獲得は、1966年の[[池田敬子]]以来43年ぶり。高難度化の進んだ今日の体操競技においては、事実上"初"と言える壮挙だった。
 
[[2010年]](平成22年)、全日本選手権で個人総合5連覇、NHK杯で連覇を果たし、3大会連続の世界選手権代表に選出された。[[ロッテルダム]]で行われた本大会では団体総合5位入賞に貢献したが、個人総合では21位と振るわず、前年に続いてのメダル獲得はならなかった。同年11月に[[中華人民共和国|中国]]・[[広州]]で行われた[[2010年アジア競技大会|広州アジア大会]]では、団体総合で銀メダル、女子種目別の段違い平行棒では銅メダルを獲得した。しかし帰国直後の同年12月の全日本団体・種目別は怪我の影響で欠場朝日生命体操クラブは大会4連覇を逃した<ref>なお、この年の優勝は[[日本体育大学]]である。</ref>。
 
[[2011年]](平成23年)、高校を卒業同年の全日本選手権で史上初の個人総合6連覇を達成する。同年6月のNHK杯で3連覇を達成し、世界選手権代表候補に選出された。同年7月のジャパンカップでは日本人女子選手として初めての個人総合優勝を果たした。世界選手権では団体でのロンドンオリンピック出場権獲得に貢献した
 
[[11月3日]]、所属していた朝日生命を退部し、「鶴見体操クラブ」を新設し所属したと発表した([[10月31日]]付で千葉県体操協会に登録)<ref>[http://www.asahi.com/sports/jiji/JJT201111030063.html 朝日新聞社] - 鶴見、朝日生命退部=独自のクラブ新設―体操、2011年11月3日閲覧。</ref>。
 
[[2012年]](平成24年)4月、[[日本体育大学]]に入学<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120403-928126.html|title=体操女子エース鶴見が日体大入学式|date=2012-04-03|accessdate=2012-04-03|newspaper=日刊スポーツ}}</ref>。全日本選手権個人総合では体調不良の影響で7位に終わり、大会7連覇を逃した(優勝は[[田中理恵 (体操選手)|田中理恵]])。NHK杯でも田中に大会4連覇を阻止されたが、4位入賞で2大会連続のオリンピック代表に選出された。オリンピックでは前回に続いての団体総合の決勝進出を果たしたが、前回より順位を下げ、8位入賞に終わった。個人総合の出場は逃したが種目別の段違い平行棒では7位入賞を果たした。
 
== 特徴 ==
高難度化した今日の体操競技においては、日本女子ではじめて世界レベルの選手として成長した。[[華人民共和]]出身のコーチからも指導を受け、基本的な技術を重視している。
 
床のフィニッシュは、うつぶせの状態で片足だけ頭の方まで倒した独特の姿勢で終わることが多い。得意種目は[[段違い平行棒]]。