「パトリック・ヘッド」の版間の差分

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[[1998年]]にニューウェイが去ってから、ウィリアムズはしばしば力を使い果たしたように見え、シーズンに1、2勝程度しかできないことが続いた。ついに2004年、ヘッドがテクニカル・ディレクターを辞職し、33歳の[[サム・マイケル]]が後任となることが発表された。ヘッドのエンジニアリング・ディレクターへの異動は事実上の降格であり、また彼がもはやかつての栄光をチームにもたらすだけの力を持たないことをフランク・ウィリアムズがついに認めたという意味であると広く受け止められた。降格というよりは年齢によるセミリタイアという表現のほうが事実に近い。そしてチームが危機に陥った2006年には本格的に復帰している。
 
自動車メーカーの多くがF1チームの[[株式]]を取得する流れの中で、ヘッドが自分の所有分を[[BMW]]に売却したのではないかという観測が根強い存在したが、これについて確認されていない誤りただ、2011年BMWがウィリアムズとの協力をやめ、[[BMWザウバーフランクフルト証券取引所]]に上場てザウバーた際に、ヘッドも自らの所有する株式の一部買収しメーカーワークスチームと市場に放出して参戦したためおり2015年現在観測持株比率誤りだったと思われ10%まで低下してい<ref>[http://ja.espnf1.com/williams/motorsport/story/192473.html ウォルフ、ウィリアムズ株をさらに売却] - ESPN F1・2015年2月25日</ref>
 
[[2011年]]末をもってチームの取締役ならびにエンジニアリング・ディレクターの職から退いたことが発表された<ref>{{cite news|url =http://fmotorsports.cocolog-nifty.com/f107/2012/01/f1-ca88.html|title =パトリック・ヘッド氏、ウィリアムズF1から勇退|date = 2012-01-01|accessdate = 2012-01-27}}</ref>。今後は関連会社のウィリアムズ・ハイブリッド・パワー・リミテッド社の役員に就任し、F1からは完全に離れることとなる。