「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の版間の差分

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Kenjikono (会話 | 投稿記録)
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7月、[[岸本清子]]、[[田中信太郎]]、[[田辺三太郎]]、[[吉野辰海]]を新メンバーに加えた第二回展を吉村のアトリエ(「芸術革命家の[[新宿ホワイトハウス|ホワイトハウス]]」と称した)で開催した。副題は「クタバレネオ・ダダイスト。恒久平和をうちたてる。嫌悪のダンゴに蜜蜂だ。灼熱の一切が始るぞ。狂乱ドッド。功利主義に埋没したぞ。ネオ・ダダ規制法案通過。したい。したい。したい。したい。したい。したい」。同じころ、[[TBSテレビ|TBS]]の取材に応じて鎌倉の[[材木座海岸]]で「白い布を広げ、トマトを投げつける」というパフォーマンスを行っている。
 
篠原有司男の[[モヒカン刈り]]は当時の日本人にとって衝撃的な[[髪型]]であり、「[[ロカビリー]]画家」という[[キャプション]]とともに[[週刊誌]]の[[グラビアページ|グラビア]]を飾った。
 
9月、抜け駆け的に[[村松画廊]]で個展を開いた荒川修作が除名された。10月、[[升沢金平]]、[[木下新]]を新メンバーに加え、[[三木富雄]]、[[工藤哲巳]]をゲストに迎えた第三回展を[[日比谷公園]]の中にあった都営の[[日比谷画廊]]で行う。作品に小便を掛けたりしたため、アンモニア臭が漂うなどの理由により、一週間の会期半ばで陳列を拒否され、画廊を閉鎖されてしまう。これがグループの最後の展覧会となった。グループの活動停止の理由は、リーダー格の吉村の結婚、および彼が所有していたホワイト・ハウスの閉鎖などによる。