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'''近親婚'''(きんしんこん)は、近い[[親族]]関係にある者同士が[[婚姻]]関係を結ぶことである。[[親子婚]]、[[兄弟姉妹婚]]、[[叔姪婚]]や[[いとこ婚]]等が例として挙げられるが、近親の定義は社会によって様々である。近親者同士の[[性行為]]そのものを意味する[[近親相姦]]との相違に注意
 
近親者同士の[[性行為]]そのものを意味する[[近親相姦]]との相違に注意。
== 近親婚の歴史 ==
=== 近親婚の禁止 ===
[[中国]]においては[[周]]代以降の慣習で[[同姓不婚]]の原則があり<ref>{{cite web|url=http://www.njmuseum.com/rbbook/gb/25/weishu/weis008.html|title=魏书 帝纪第七 高祖纪上|publisher=[[南京博物院]]|accessdate=2011-08-08|language=中国語}}</ref>、同姓間の近親婚については避けられる。
 
== 近親婚の歴史 ==
[[朝鮮]]では、[[李氏朝鮮]]が建国理念である[[性理学]]的イデオロギーを基盤に同姓同本不婚制を一貫して堅持した。この制度は[[20世紀]]にも[[韓国]]で引き続き施行されており、[[1997年]]に8親等以内に縮小された。<ref name="hokudai">{{cite journal|author=[[三宅勝]]|year=1996年|month=10月|title=韓国の同姓同本不婚制に関する背景と課題|journal=北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル|publisher=[[北海道大学]]|volume=3|pages=305-333|naid=110000562183|url=http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/22279/1/3_P305-333.pdf|format=PDF|accessdate=2011-08-08}}</ref>
世界各国の[[神話]]の[[天地創造]]では、神々や創造直後の人間が近親婚を行い、神や人口を増やす描写があることが多い。その後、禁止する国も現れるようになった
 
[[ファイル:Laurens excomunication 1875 orsay.jpg|thumb|280px|近親婚を理由に破門されたロベール2世(ジャン=ポール・ローランスによる1875年の絵画)]]
[[カトリック教会|カトリック]]では、[[教会法]]によって教会式親等計算で当初は4親等以内、最終的には7親等以内(時代によってはさらに広範囲)の近親婚を禁止していた。日本の法律で一般的に用いられるローマ式親等換算では当初は5親等以内、最終的には8親等以内の近親婚を禁止していたことになる。又従姉[[ベルト・ド・ブルゴーニュ]]との再婚が原因で破門を受けた[[フランス王国|フランス]]王[[ロベール2世 (フランス王)|ロベール2世]]のような例もある。しかし[[ヨーロッパ]]の[[王族]]、[[貴族]]は同ランクの者との婚姻を繰り返したため、近親婚を避けることは事実上不可能になり、気付かなかったことにしたり教会に特別免除をもらうことによって、有名無実なものとなった。そのように事実上容認された近親婚の範囲は地域によって異なるが、[[スペイン]]・[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の王族や[[ドイツ]]諸侯の間では[[叔姪婚]]がしばしば行われた(顕著な例としてスペイン・[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]の[[ハプスブルク家]]が挙げられる)。フランスでも、[[カペー朝]]後期以降はロベール2世の子孫の間で又いとこ婚やいとこ婚が一般化している。ただし、離婚([[婚姻の無効]])や他人の結婚に異議を申し立てる時には、近親婚であることが理由として利用された。
 
[[グルジア]]人の間では慣習上、結婚対象者との間には、7代遡っても共通の祖先がいないことが条件となっている。同時に、キリスト教会での「洗礼親」(実の親が友人に頼むことが多い)も「親」と見なされるので、小さな街では結婚対象者が限られてしまうことになる(現実的ではないので、この点については目をつぶることもある)。また、仮に縁戚関係がなくても同姓の異性との婚姻は避けられる。これらの事情から、いとこ婚などはもってのほかとされている。<!--{{要出典}}但し、これも無論建前の話であって、現実には近親者同士の結婚も皆無ではない。-->
 
=== 近親婚の容認・推奨 ===
世界各国の[[神話]]の[[天地創造]]では、神々や創造直後の人間が近親婚を行い、神や人口を増やす描写があることが多い。
 
=== 古代エジプト ===
[[ファイル:Genealogia XVIII D.png|thumb|325px|left|[[エジプト第18王朝]]([[ツタンカーメン]]の一族)の家系図]]
[[古代エジプト]]などにおいては、近親婚が容認されたり、むしろ奨励されたりしていたケースもある。権力者が長い世代にわたって同族による主権を維持すると、血統の純潔性を保とうとする意味から近親婚が多くなる。ただし、[[山内昶]]はエジプトの近親婚について、2世紀の記録で113例の婚姻のうち20%に当たる23例が[[兄弟姉妹婚|キョウダイ婚]]であったとされる話を挙げ、特に王族に限った話ではなかったと指摘している<ref>『タブーの謎を解く』(山内昶、1996年) 56ページ ISBN 4-480-05691-2</ref>。
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古代エジプトの王家では父と娘の婚姻例もあり、[[エジプト第19王朝]]の[[ファラオ]]である[[ラムセス2世]]は自分の娘達と結婚した。さらに、[[パルティア]]史の記録文献においては母と息子の婚姻例も存在し、元々は[[古代ローマ]]の女奴隷であった[[ムサ]]が国王[[フラーテス4世]]との間に[[フラーテス5世]]をもうけた後、息子と謀って夫を殺害し国王となった息子と結婚したと伝えられている。だが、この結婚が一因で周囲に反発されフラーテス5世は廃されたという。
 
=== 古代イラン ===
[[イラン]]発祥の宗教[[ゾロアスター教]]では、父と娘、母親と息子、兄妹・姉弟間の結婚を[[フヴァエトヴァダタ]]と呼び最大の善行とする<ref>『ゾロアスター教の悪魔払い』([[岡田明憲]]、1984年) 202ページ ISBN 4-892-03082-1</ref>。
 
=== ヨーロッパ ===
ヨーロッパの多くの国では、王族の結婚による領地拡大政策を行った結果として近親婚が増え、遺伝性の病気が王族の一部に見られることもある。[[ハプスブルク家]]と[[下顎前突症]]など<ref>Chudley (1998) Genetic landmarks through philately – The Habsburg jaw. Clinical Genetics 54: 283-284.</ref>
 
[[ファイル:Laurens excomunication 1875 orsay.jpg|thumb|280px|近親婚を理由に破門されたロベール2世(ジャン=ポール・ローランスによる1875年の絵画)]]
他方、[[カトリック教会|カトリック]]では、[[教会法]]によって教会式親等計算で当初は4親等以内、最終的には7親等以内(時代によってはさらに広範囲)の近親婚を禁止していた。日本の法律で一般的に用いられるローマ式親等換算では当初は5親等以内、最終的には8親等以内の近親婚を禁止していたことになる。又従姉[[ベルト・ド・ブルゴーニュ]]との再婚が原因で破門を受けた[[フランス王国|フランス]]王[[ロベール2世 (フランス王)|ロベール2世]]のような例もある。
 
[[カトリック教会|カトリック]]では、[[教会法]]によって教会式親等計算で当初は4親等以内、最終的には7親等以内(時代によってはさらに広範囲)の近親婚を禁止していた。日本の法律で一般的に用いられるローマ式親等換算では当初は5親等以内、最終的には8親等以内の近親婚を禁止していたことになる。又従姉[[ベルト・ド・ブルゴーニュ]]との再婚が原因で破門を受けた[[フランス王国|フランス]]王[[ロベール2世 (フランス王)|ロベール2世]]のような例もある。しかし[[ヨーロッパ]]の[[王族]]、[[貴族]]は同ランクの者との婚姻を繰り返したため、近親婚を避けることは事実上不可能になり、気付かなかったことにしたり教会に特別免除をもらうことによって、有名無実なものとなった。そのように事実上容認された近親婚の範囲は地域によって異なるが、[[スペイン]]・[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の王族や[[ドイツ]]諸侯の間では[[叔姪婚]]がしばしば行われた顕著な例としてスペイン・[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]の[[ハプスブルク家]]が挙げられる)。フランスでも、[[カペー朝]]後期以降はロベール2世の子孫の間で又いとこ婚やいとこ婚が一般化している。ただし、離婚([[婚姻の無効]])や他人の結婚に異議を申し立てる時には、近親婚であることが理由として利用された
 
フランスでも、[[カペー朝]]後期以降はロベール2世の子孫の間で又いとこ婚やいとこ婚が一般化している。ただし、離婚([[婚姻の無効]])や他人の結婚に異議を申し立てる時には、近親婚であることが理由として利用された。
 
[[グルジア]]人の間では慣習上、結婚対象者との間には、7代遡っても共通の祖先がいないことが条件となっている。同時に、キリスト教会での「洗礼親」(実の親が友人に頼むことが多い)も「親」と見なされるので、小さな街では結婚対象者が限られてしまうことになる(現実的ではないので、この点については目をつぶることもある)。また、仮に縁戚関係がなくても同姓の異性との婚姻は避けられる。これらの事情から、いとこ婚などはもってのほかとされている。<!--{{要出典}}但し、これも無論建前の話であって、現実には近親者同士の結婚も皆無ではない。-->
 
=== イスラム ===
[[イスラム]]文化圏では、血縁の濃さを喜ぶ傾向、また[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]の第7夫人ザイナブがムハンマドの従妹であったことから、いとこ婚が多い。[[クルアーン]]に記述された、婚姻が禁じられた近親者の一覧の中にも、いとこは書かれていない。
 
=== タイ ===
[[ファイル:King Chulalongkorn and Queen Saovabha.jpg|thumb|250px|王妃サオヴァバ(左)と異母兄にしてタイの国王のラーマ5世(右)の夫婦の写真]]
[[タイの国王]]である[[ラーマ5世]]は数人の異母妹と結婚しているが、ラーマ5世の場合は迎えた妻の数がかなり多く、数人程度では子孫の多様性の妨害にはならないという事情もあった。
 
=== 中国 ===
[[中国]]において[[周]]代以降の慣習で[[同姓不婚]]の原則があり<ref>{{cite web|url=http://www.njmuseum.com/rbbook/gb/25/weishu/weis008.html|title=魏书 帝纪第七 高祖纪上|publisher=[[南京博物院]]|accessdate=2011-08-08|language=中国語}}</ref>、同姓間の近親婚基づいては避けられるが、異姓間の近親婚が行われる例が見られる。[[前漢]]で[[恵帝 (漢)|恵帝]]が同母姉・[[魯元公主]]の娘である[[張皇后 (漢恵帝)|張氏]]を皇后に、[[武帝 (漢)|武帝]]が父の同母姉・館陶長公主の娘である[[陳皇后 (漢武帝)|陳氏]]を皇后に、また[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]で[[孫権|大帝]]が父方の従兄・[[徐コン|徐琨]]の娘である徐氏を夫人に、[[孫休|景帝]]が異母姉・[[孫魯育]]の娘である朱氏を皇后にしていた例がある。[[南北朝時代 (中国)|南朝]][[宋 (南朝)|宋]]の[[前廃帝 (南朝宋)|前廃帝]]が父方の叔母・新蔡公主を貴嬪にしていた同姓の近親婚の例も見える。漢風の習俗の浸透度が弱かった[[匈奴]]、[[南北朝時代 (中国)|北朝]]、[[遼]]、[[元 (王朝)|元]]の皇帝や皇族にも、いとこ婚などの例が見られる。
 
漢風の習俗の浸透度が弱かった[[匈奴]]、[[南北朝時代 (中国)|北朝]]、[[遼]]、[[元 (王朝)|元]]の皇帝や皇族にも、いとこ婚などの例が見られる。
朝鮮では、[[新羅]]で[[骨品制]]の考えから神聖なる天降種族の血の純潔性を尊ぶため王族間の通婚が行われた他、[[高麗]]時代初めにも[[光宗 (高麗王)|光宗]]の王后が異母妹の大穆王后皇甫氏といった具合に 王室では近親婚が盛んに行われて異母兄弟姉妹婚も行われた。<ref name="hokudai"/>
 
=== 朝鮮 ===
[[日本]]においても、[[奈良時代]]以前、すなわち『[[古事記]]』・『[[日本書紀]]』には王族・皇族において異母兄弟姉妹婚や叔姪婚やいとこ婚などといった近親婚の例が数多く記載されている。だが、中には[[景行天皇]]が息子の[[ヤマトタケル|倭建命]]の曾孫の迦具漏比売命を妻にし[[彦人大兄命|大江王]]をもうけたという『古事記』の記録に対して、倭建命という伝説的な人物を実在の人物として組み込んだために系譜に混乱が発生したのではないかと指摘された事例もある<ref>{{cite journal|author=[[大久間喜一郎]]|date=1993年3月1日|url=https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10103/1/kyouyoronshu_259_1.pdf|format=PDF|title=景行天皇記に於ける倭建命|journal=明治大学教養論集|publisher=[[明治大学]]|volume=259|pages=1-12|issn=03896005|naid=120002908763|accessdate=2011-08-08}}</ref>。ただし、血の純潔さを尊重する立場から近親婚が好んで行われたことは確かなものと考えられる。また、『日本書紀』の[[仁賢天皇]]紀には天皇家と全く関係がないようなただの一般人女性が異母のキョウダイ(双方の母親が母娘の関係のためオジでもある男性)と結婚している逸話も挙げられている。[[古代]]の[[大王 (ヤマト王権)|大王]]家と[[蘇我氏]]、及び[[平安時代]]以降に続けられた[[皇室]]と[[藤原氏]]との婚姻も、同姓間ならぬ近親婚の累積である。
[[朝鮮]]では、[[新羅]]で[[骨品制]]の考えから神聖なる天降種族の血の純潔性を尊ぶため王族間の通婚が行われた他、[[高麗]]時代初めにも[[光宗 (高麗王)|光宗]]の王后が異母妹の大穆王后皇甫氏といった具合に 王室では近親婚が盛んに行われて異母兄弟姉妹婚も行われた。<ref name="hokudai"/>
 
[[朝鮮]]ではしかし、[[李氏朝鮮]]が建国理念である[[性理学]]的イデオロギーを基盤に同姓同本不婚制を一貫して堅持した。この制度は[[20世紀]]に現在も[[韓国]]で引き続き施行されており、[[1997年]]に8親等以内に縮小された。<ref name="hokudai">{{cite journal|author=[[三宅勝]]|year=1996年|month=10月|title=韓国の同姓同本不婚制に関する背景と課題|journal=北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル|publisher=[[北海道大学]]|volume=3|pages=305-333|naid=110000562183|url=http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/22279/1/3_P305-333.pdf|format=PDF|accessdate=2011-08-08}}</ref>
中世以降、武家社会においても、例えば[[足利将軍家]]には[[日野家]]、[[紀州徳川家]]には[[伏見宮|伏見宮家]]、[[井伊氏|井伊家]]([[彦根藩]])には[[蜂須賀氏|蜂須賀家]]([[阿波藩]])、蜂須賀家には[[小笠原氏|小笠原家]]というように、支配層上層での正妻の生家の固定が見られ、母親と同じ家の出でかつ同世代の娘との婚姻が推奨されることにより、結果的にいとこ婚、またいとこ婚などが推奨されることが多くあった。中世から近代にいたるまで同族内での婚姻がしばしば行われた[[島津氏|島津家]]や[[伊東氏|日向伊東家]]、[[佐竹氏|佐竹家]]のような例もある。親族間の結婚は上級武士に限らず、中下級の武士の間でも行われており、例えば[[磯田道史]]の著書『[[武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新]]』で分析対象とされている[[加賀藩]]士の猪山家では、2代続けていとこ婚が行われている。同書によれば、ごく最近まで階級の上下を問わずイトコ婚は珍しくなく、江戸時代には親族であることや家格が同程度であることが結婚相手として都合が良いとされていた<ref>[[磯田道史]]『[[武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新]]』([[新潮新書]]、2003年)p.137-138</ref>。
 
=== 日本 ===
かつて、日本において農業後継者の確保等の要請から親族間の結婚が少なからず行われていたことは公知の事実であり、地域的特性から親族間の結婚が比較的多く行われるとともに、おじと姪との間の内縁も散見され、そのような関係が地域社会や親族内において抵抗感なく受け容れられている例も存在した<ref name="脚注1">[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070308164237.pdf 最高裁判所判例]平成17(行ヒ)354 遺族厚生年金不支給処分取消請求事件</ref>。現代の日本社会においては近親婚は全体的な傾向としては比較的減少気味であるが地域による差が大きく、1983年の報告で[[福江市]]ではより近親婚の比率が高く、[[旭川市]]ではより近親婚の比率が低かったという研究もある<ref>{{cite journal|author=Imaizumi, Yoko|year=1986|title=A recent survey of consanguineous marriages in Japan|journal=Clinical Genetics|volume=30|issue=3|pages=230-233|pmid=3780039}}</ref>。
[[日本]]においても、[[奈良時代]]以前、すなわち『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』には王族・皇族において異母兄弟姉妹婚や叔姪婚やいとこ婚などといった近親婚の例が数多く記載されている。だが、中には[[景行天皇]]が息子の[[ヤマトタケル|倭建命]]の曾孫の迦具漏比売命を妻にし[[彦人大兄命|大江王]]をもうけたという『古事記』の記録に対して、倭建命という伝説的な人物を実在の人物として組み込んだために系譜に混乱が発生したのではないかと指摘された事例もある<ref>{{cite journal|author=[[大久間喜一郎]]|date=1993年3月1日|url=https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10103/1/kyouyoronshu_259_1.pdf|format=PDF|title=景行天皇記に於ける倭建命|journal=明治大学教養論集|publisher=[[明治大学]]|volume=259|pages=1-12|issn=03896005|naid=120002908763|accessdate=2011-08-08}}</ref>。ただし、血の純潔さを尊重する立場から近親婚が好んで行われたことは確かなものと考えられる。また、『日本書紀』の[[仁賢天皇]]紀には天皇家と全く関係がないようなただの一般人女性が異母のキョウダイ(双方の母親が母娘の関係のためオジでもある男性)と結婚している逸話も挙げられている。[[古代]]の[[大王 (ヤマト王権)|大王]]家と[[蘇我氏]]、及び[[平安時代]]以降に続けられた[[皇室]]と[[藤原氏]]との婚姻も、同姓間ならぬ近親婚の累積である。
 
中世以降、武家社会においても、例えば[[足利将軍家]]には[[日野家]]、[[紀州徳川家]]には[[伏見宮|伏見宮家]]、[[井伊氏|井伊家]]([[彦根藩]])には[[蜂須賀氏|蜂須賀家]]([[阿波藩]])、蜂須賀家には[[小笠原氏|小笠原家]]というように、支配層上層での正妻の生家の固定が見られ、母親と同じ家の出でかつ同世代の娘との婚姻が推奨されることにより、結果的にいとこ婚、またいとこ婚などが推奨されることが多くあった。中世から近代にいたるまで同族内での婚姻がしばしば行われた[[島津氏|島津家]]や[[伊東氏|日向伊東家]]、[[佐竹氏|佐竹家]]のような例もある。親族間の結婚は上級武士に限らず、中下級の武士の間でも行われており、例えば[[磯田道史]]の著書『[[武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新]]』で分析対象とされている[[加賀藩]]士の猪山家では、2代続けていとこ婚が行われている。同書によれば、ごく最近まで階級の上下を問わずイトコ婚は珍しくなく、江戸時代には親族であることや家格が同程度であることが結婚相手として都合が良いとされていた<ref>[[磯田道史]]『[[武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新]]』([[新潮新書]]、2003年)p.137-138</ref>
また、現実問題として双方が恋愛関係にある場合は、たとえ刑法で[[近親相姦罪]]を設けていたとしても取り締まりが困難である。[[スウェーデン]]では近親相姦罪が適用されながらも子供を2人もうけた異父兄妹がいたことから、この事件後に婚姻法改正の動きが起こり、1973年の法改正で異父もしくは異母の関係ならば兄弟姉妹であっても、政府機関の特別な許可を得た上であれば婚姻を許すということになった<ref>{{cite journal|title=遺族厚生年金受給権と近親婚的内縁の効力|author=[[棚村政行]]|year=2005年|journal=早稲田法学|publisher=[[早稲田大学]]|volume=80|issue=4|pages=21-67|naid=120001941628|issn=0389-0546|url=http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/29489/1/Hogaku_80_04_002_TANAMURA.pdf|format=PDF|accessdate=2011-08-09}}</ref>。
 
親族間の結婚は上級武士に限らず、中下級の武士の間でも行われており、[[加賀藩]]士の猪山家では2代続けていとこ婚が行われており、階級の上下を問わずイトコ婚は珍しくなく、江戸時代には親族であることや家格が同程度であることが結婚相手として都合が良いとされていたためとされる<ref>[[磯田道史]]『[[武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新]]』([[新潮新書]]、2003年)p.137-138</ref>。
== 現代の日本の規定 ==
 
[[日本国憲法第24条]]では『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』とあり、近親者間の[[性行為|性交]]自体を法律上禁止しておらず、また近親者間の[[事実婚]]認定も阻害されないが、日本国憲法第24条に基づき制定される法令により、近親者間の婚姻に係る[[婚姻届]]は受理されず、誤って受理されても後に取り消し得る。
現代の日本社会においては近親婚は全体的な傾向としては比較的減少気味であるが地域差が大きく、1983年の報告で[[福江市]]では全体の7.9%と近親婚の比率が高く、[[旭川市]]では0.78%と低かった<ref>{{cite journal|author=Imaizumi, Yoko|year=1986|title=A recent survey of consanguineous marriages in Japan|journal=Clinical Genetics|volume=30|issue=3|pages=230-233|pmid=3780039}}</ref>。また、農業後継者の確保等の要請から親族間の結婚が少なからず行われ、地域的特性から親族間の結婚が比較的多く行われるとともに、おじと姪との間の内縁も散見され、そのような関係が地域社会や親族内において抵抗感なく受け容れられている例もある<ref name="脚注1">[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070308164237.pdf 最高裁判所判例]平成17(行ヒ)354 遺族厚生年金不支給処分取消請求事件</ref>。
 
== 現在 ==
<!---近親相姦罪と近親婚は違います。--->
また、実問題とし在、[[近親相姦罪]]はフランスや日本では制定されいないが、ドイツなどでは制定されている。近親者双方が恋愛関係にある場合は、たとえ刑法で[[近親相姦罪]]を設けていたとしても取り締まりが困難である。[[スウェーデン]]では近親相姦罪が適用されながらも子供を2人もうけた異父兄妹がいたことから、この事件後に婚姻法改正の動きが起こり、1973年の法改正で異父もしくは異母の関係ならば兄弟姉妹であっても、政府機関の特別な許可を得た上であれば婚姻を許すということになった<ref>{{cite journal|title=遺族厚生年金受給権と近親婚的内縁の効力|author=[[棚村政行]]|year=2005年|journal=早稲田法学|publisher=[[早稲田大学]]|volume=80|issue=4|pages=21-67|naid=120001941628|issn=0389-0546|url=http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/29489/1/Hogaku_80_04_002_TANAMURA.pdf|format=PDF|accessdate=2011-08-09}}</ref>。
 
=== 日本 ===
[[日本国憲法第24条]]では『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』とあり、近親者間の[[性行為|性交]]自体を法律上禁止しておらず、また近親者間の[[事実婚]]認定も阻害されない。しかし、日本国憲法第24条に基づき制定される法令により、近親者間の婚姻に係る[[婚姻届]]は受理されず、誤って受理されても後に取り消し得る。
 
日本において婚姻届が受理されない近親婚は以下の通りである。
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近親者である事実を知らず婚姻関係が成立し、その後で[[認知]]等で近親者である事実が判明した場合、婚姻の無効原因となる。無効主張をすることができる者は各当事者・親族・[[検察官]]である。
 
== 近親婚禁止の理由 ==
近親者間で婚姻が禁止されるのは次の理由である。
 
; 生物学的理由
: 近親者同士が性行為をし、出産をした場合、その血族特有の症状を持つ子孫が誕生する確率が上昇すると考えられる
: 先天性遺伝疾患または家族性の疾患が問題となる
; 社会学的禁忌
: 自身の近親者が同じ血縁者と結ばれるということに対する心理的不快感と嫌悪感
; 法律学的禁忌
: 近親者同士の婚姻を認めると当該人物に相続等の問題が生じた時に相続者の優先順位に混乱を生じてしまう恐れがある
 
== 出典 ==
70 ⟶ 75行目:
 
== 関連項目 ==
* [[結婚]]
* [[近親交配]]
* [[族内婚]]