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[[中国]]([[唐]])では[[皇太子]]の命令を伝える文書を「令」といったが、それが[[日本]]に伝わり、[[日本]]では[[皇太子]]の命令を伝える文書を令旨といい、[[太皇太后]]・[[皇太后]]・[[皇后]]の出す文書もこれに準じた。[[平安時代]]中期以降は、[[皇太子]]・三后に加えて[[女院]]や[[親王]]などの[[皇族]]の命令も令旨と呼ばれるようになった。
 
歴史上有名な令旨としては、[[治承・寿永の乱]](源平合戦)の際に諸国の[[源氏]]に挙兵を命じるために[[以仁王]]が発した「[[以仁王の挙兵|以仁王の令旨]]」があるが、これは皇太子でも親王でもない以仁王が命令の正統性を高めるためにあえて親王の身位を冒して発したもので、本来ならば王の命令書は「[[御教書]]」と呼ばれるべきものだった。
 
なお、[[天皇]]の命令を伝える文書に[[宣旨]]・[[綸旨]]などがある。