「7月20日事件」の版間の差分

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| caption = 事件後の[[ヴォルフスシャンツェ]]会議室。左から[[ハインツ・リンゲ]]、[[マルティン・ボルマン]]、[[ユリウス・シャウブ]]、[[ヘルマン・ゲーリング]]、[[ブルーノ・レールツァー]]、氏名不明の空軍将校
| date = {{unbulleted list|li_style=line-height:1.25em; |1944年7月20日 {{small|(暗殺未遂)}} |{{nowrap|1944–1945 {{small|(逮捕から処刑まで)}}}}}}
| place = {{unbulleted list|li_style=line-height:1.25em; |[[ナチス・ドイツ|ドイツ国]]、{{DEU1935}} [[東プロイセン]][[ラステンブルク]] |{{small|(現在の[[ポーランド]][[ヴァルミア=マズールィ県]][[ケントシン]])}} |{{coord|54.079344|21.493544|display=inline|region:PL-WM_type:landmark|name=Site of 20 July 1944 Plot at Wolfsschanze or Wolf's Lair}}}}
| result = [[アドルフ・ヒトラー]]の暗殺失敗、および[[クーデター]]失敗
| combatant1 = {{flagicon image|Proposed German National Flag 1944.svg}} [[黒いオーケストラ]]
| combatant2 = {{flagicon|Nazi Germany}} [[ナチス・ドイツ]]
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| commander2 = {{unbulleted list |[[アドルフ・ヒトラー]] |[[ヴィルヘルム・カイテル]] |[[ヴァルター・ヴァルリモント]] |[[アルフレート・ヨードル]]}}
| strength1 = | strength2 =
| casualties1 = {{unbulleted list |処刑5,000人 |逮捕5,000人}}
| casualties2 = {{unbulleted list |将校 3人死亡 |書記 1人死亡}}
}}
'''7月20日事件'''は、[[1944年]][[7月20日]]に発生した[[ナチス・ドイツ]]の[[総統]][[アドルフ・ヒトラー]]暗殺未遂とナチス・ドイツ政権に対する[[クーデター]]未遂事件。
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元々[[パーキンソン病]]を患うなど、体調が悪かったヒトラーは、爆発の影響で病状がさらに悪化した上、極度の人間不信に陥った。
 
関係者の摘発や粛清が徹底的に進められたことで、「総統に反逆を行うものは自身のみならず一族郎党含めて極刑に処する」という強い警告が浸透するようになり、これ以降ヒトラーに対する暗殺計画が実行されることは無くなった。
また、この事件を契機に国防軍内でも右手を真っ直ぐに伸ばすいわゆる[[ナチス式敬礼]]を行うことになった。その他、それまでは政治的影響を免れていた海軍にも[[政治将校]]が配属され、それは前線の[[Uボート]]にもおよんだ。さらに、「7月20日の裏切り者」のレッテルを貼られることを怖れた将軍達はヒトラーに意見することを止め、ドイツ軍の作戦行動は硬直化することとなったが、反面軍部内の防諜が強化され、連合軍の情報収集活動が困難化した。
 
また、この事件を契機に国防軍内でも右手を真っ直ぐに伸ばすいわゆる[[ナチス式敬礼]]を行うことになった。その他、それまでは政治的影響を免れていた[[ドイツ海軍 (国防軍)|海軍]]にも[[政治将校]]が配属され、それは前線の[[Uボート]]部隊にもおよんだ。さらに、「7月20日の裏切り者」のレッテルを貼られることを怖れた将軍達はヒトラーに意見することを止め、ドイツ軍の作戦行動は硬直化することとなったが、反面軍部内の防諜が強化され、連合軍の情報収集活動困難化した。
 
暗殺未遂事件に関与した者に対する粛清は、ドイツ降伏直前の1945年4月下旬まで続けられた。