「ヤン・ヤンセ・ウェルテフレー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
11行目:
当時の[[李氏朝鮮]]は[[鎖国]]政策を採っていたので、捕虜となった彼らは朝鮮を離れることは許されなかった。ヤン・ヤンセは'''パク・ヨン'''(朴淵/朴燕、{{lang|ko|박연}})という名前を付けられ、政府の重要な役人となった。彼は朝鮮人女性と結婚し、2人の子供を儲けた。
 
ウェルテフレーよると、他の2人は[[丙子胡乱の役]]中の1636年に死亡した<ref>Gari Ledyard "The Dutch Come to Korea", page 26. Library of Congress Catalog Card Number: 70-177936</ref>。彼らは朝鮮軍として戦っていたと思われる。
 
1653年に[[ヘンドリック・ハメル]]らが乗った'De Sperwer'という船がジャカルタから[[台湾]]に向かう途中に[[難破]]し、朝鮮に漂着し、ヤン・ヤンセが通訳者および相談役として派遣された。