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{{main|渾作戦}}
6月上旬、青葉は十六戦隊旗艦として'''渾作戦'''に参加。軽巡洋艦[[鬼怒 (軽巡洋艦)|鬼怒]]や第27駆逐隊[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]、[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]等と行動を共にした。[[レイテ沖海戦]]では当初、日本軍第一遊撃部隊(通称[[栗田艦隊]])に所属していたが、第二遊撃部隊に編成替えとなり、第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送を命じられた。[[10月23日]] [[ルソン島]]西方で米潜水艦[[ブリーム (潜水艦)|ブリーム]] (''USS Bream, SS-243'') の雷撃で大破<ref>「軍艦鬼怒フィリピン沖海戦戦闘詳報」第5画像</ref>、右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜した。青葉はこの状態で鬼怒に曳航され、[[マニラ湾]]に入港。その翌日にもアメリカ軍の空母艦載機による攻撃を受けた。同地での応急修理により5ノットの航行が可能となり、レイテ沖海戦で損傷していた重巡[[熊野 (重巡洋艦)|熊野]]と共に本土回航を命じられた。11月6日、青葉、熊野及びマタ31船団はサンタクルーズを出港するが、同日午前中に熊野が米潜水艦の雷撃により大破、青葉は熊野に対し『われ曳航能力なし』と伝達し、熊野を残置して内地へ向かった。11月
=== 最期 ===
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